おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

421_法悟28-24-3

第 4 週 人格の完成をめざす

3 不公平な裁きが社会を崩壊させる

罰を与えてはいけない人に対して
怒ったり罰を与えたり、
怒り憎しみをもったりすると、
十種類の不幸に見舞われる。
一、激しい痛み。
二、老衰(体力の減退)。
三、身体の障害。
四、重い病。
五、乱心。
六、国王からの災い。
七、恐ろしい告げ口。
八、親族の滅亡。
九、財産の損失。
十、家が火事で焼ける。
この愚か者たちは死後地獄に落ちる。

(一三七 - 一四〇) (第10章 暴力 より)

ちょっとこれ、空想や想像の域を出ない(残念ながら私には神通力などの特殊能力がまったくないため)ので、書こうかどうか迷ってたんですけど、ついでだから書いておくことにします。

前回 ( 420_法悟28-24-2 ) の、2. 因縁因果について で書いた信賞必罰のことについて、です。

この世やあの世などの三界(さんがい。現界や幽界や霊界の下層)で、因縁因果が法則として機能する、巡るものであるならば。

これを仮に因果律と名づければ、因果律は、広い意味で、この現界、幽界、霊界の下層の三界を通した刑罰制度には見えませんか?

S さんのお話と、あそこで引用されていたお釈迦さんのお話は、あくまでもこの世(現界)の中での限定された話のように見えます。

あそこではいろんなことが書かれてはいますが、人によって多少の見方は異なっても、事実、真実はたったの一つであり、唯物論的に状況を見きわめることが困難な場合には、神通力(それも人格と霊格が超高いことが必須)でしか、本当のことはわからないんじゃないでしょうか。

唯物論的な詰め方では、人の心が読める他心通などの神通力がないと、限界があるように思うんですけど。

しかも、仮にそうしたお釈迦さんのような神通力をそなえた人がいたとしても、彼は果たして状況をありのまま、事実のまま、告げるものでしょうか?

因縁因果をよくよく鑑(かんが)みて、告げないでおく、という選択肢をとる場合もあるのではないですか?

とにかく。

因果律を、三界にまで広めて、輪廻転生を視野に入れ、因縁因果は原則として隔世(あまたの過去世から、現世(この世)、そして来世以降)を経て機能して、しかも、この隔世を経ることで肉体人間の過去世の記憶は消されてしまうことをも含めて考えた場合にはどうなるか、です。

良い想いと行いには、良い想いと行いが、返ってくる。しかも、これは真善美に悖らないもの、神様のみ心に適(かな)うものだから、肉体人間が神様の分け命を本質とする以上、尽きることはない。

他方、悪い想いと行いは、悪い想いと行いが返ってくる。肉体人間の本質としては、本来ならば存在しない想いと行いだから、生じたとしても肉体人間としてつくったもので、あくまでも有限。いつかは尽きる時がくる。

しかし、その過去世での汚点のような悪い想いと行いをしたことの記憶は消されているために、この世(現世、現界)では、身に覚えのないような、いってみれば無実の罪の罰を受けるような形になることが考えられる。

例えば、今までの人生に特にこれといった目立った悪いことに思い当たらないのに、病気の苦しみを味わうなど、です。

ほとんどの人は、宿命通(過去世を読む能力)がないので、わかりにくいですが、この宿命通があり、自分や人様の過去世が読め、因果関係に思い当たる節があれば、この悪い原因としての因縁の因果としてのあらわれをとらえると、まるで刑罰制度のように思えてくるんです。

これが、三界を通した、輪廻転生を経て機能する、因果律のように考えると、悪い想いと行いの場合には、因果律は、刑罰制度のように均衡装置として働いているように見えなくもないからです。

そのような縛りとしての因果律がないと、神界は関係ないのでしょうが、霊界の下層、幽界、現界(この世)は、ガタガタになり、デタラメきわまるカオスのようになってしまうことも、机上の上では考えられなくもない、と。

極端な仮定をするなら、この世ならこの世で、いつまでも、いつまでも、真善美に悖るものばかりが幅を利(き)かせて栄えていたら、普通の人は苦しくて、辛くて仕方がないことになってしまう。

いくら、この世が基本的に修行の場だとしても。

いくら今が辛くても苦しくても、最終的な希望への道筋が少しでも見えなければ、耐えるのには、かなり厳しいものがあるのではないでしょうか。

神様が果たしてそんなことを望まれているのでしょうか。

望まれているはずないですよね。

だから、各界を結ぶ芯というか、柱というか、要となるものかないと、筋が通らなくなってしまうように思うんです。

で、均衡装置としての因果律の話の刑罰制度として見える話に戻りますけど。

因果律は、過去世に悪い想いと行いの因縁という原因があるために、いわば、過去世の記憶が消されている分、種明かしのされない罰が、いきなり降りかかってくるような、厳しく、かつ、恐ろしい刑罰制度のように見えます。

宗教によくあるお話では、このような因果律の機能を、できる限り、納得しやすいように説明して頂かないと、因縁因果の話は、きわめてわかりにくいし、納得し難いんです。

特に、過去世のことをまったく度外視したようなお話をされてしまうと(私は過去に書籍や動画でこうした過去世を度外視したものをいくつも見ています)。

あくまでも、個人的な感想ですが、何となく、因果律は、悪い想いと行いの側面において、刑罰制度に似たところがあるな、と感じたので、とりあえず、備忘録として記(しる)しておくことにします。

ご了承願います。

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追記: 2021/07/01 07:08 〜訂正内容〜

本文を訂正しました。
すみません。