おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

305_法話50-1

以下、始めますが、私の判断で、内容を要約した上で、適宜、一部漢字化などの改変を加えます。あらかじめ、ご了承願います。

1. 怒ると一番最初に自分が汚染される

実にこの世においては、
怨みに対して怨みを返すならば、
ついに怨みの鎮まることがない。
怨みを捨ててこそ鎮まる。
これは普遍的な真理である。

(五) (第一章 対句 より)

大まかに言うと。

S さんは、怨みは、いわば汚物を生成して相手に投げつけるような行為であり、怨みはいわば衣服の汚れであり、その汚れはとろうとして、あちこち拭くことで広めることはない、ただ、意に介さず放っておきなさい、と言われているように読めます。

怨み。

これは真善美に悖る想いと行い。当然に神様のみ心に合わないものです。

なので、輪廻転生を通して償い、(負の因縁の)プラスマイナス差し引きゼロとして、消滅を余儀なくされるものである。

自らがなした過去世の因縁が返ってきたものであれば、反抗せずに素直に受ける(難しいですけどね。過去世の記憶も消されているから)、それも、神様(守護の神霊様)への感謝とともに受け入れることができれば、輪廻転生の過程には乗らずに完全に消滅させることができる。

それができないと、怨みという真善美に悖る想いと行いをさらに重ねて、負の因縁ができる。

従って、原則として来世以降に負の因縁の発現である負の因果=怨みを重ねて増やすことになる。

負の悪循環(スパイラル(螺旋(らせん))?)の出来上がりです。

これが、まず1つ。

この世(現世)で起きてくる多くは、過去世の因縁が関わっているらしいけど、今、この世から新たに起こした怨み、悪い因縁も、割に合わなくても何とか収めることができれば、来世以降に持ち越さなくなる。

しかし、これができずに怨みを返してしまうと、来世以降への持ち越しと、負の因縁の悪循環となる。

これが2つ目。

上記、2つのケースともに、怨みのやむことがない場合に相当しますね。

こうした、処理の達人が妙好人と呼ばれた人達であった訳です。

なぜ、こんなことなるのかというと。

何回も書いてきましたが、私達肉体人間は、神様の分けられたお命という分霊(わけみたま)を本体としている。

地球さんの地上天国化、いわば神様の世界をこの世に映し出す、地球さんの開発のために、便宜上、本来なら神様としては持ち得ない動物性、すなわち、自己保存の本能を付与された。

それによって、肉体人間個体の維持にまつわる利害得失関係にこだわるようになり、憎み、怨み、嫉み、などなど、様々な真善美に悖る業想念を抱くことになってしまった。

しかし、これらは、神様の分霊を頂く子供としては、本来してはいけない想いと行いであり、従って、神様の世界にはあってはならないものとして、消し去られる宿命にある。

逆に言うと、業想念を消し去らなければ、いつまでも、消し去るための償い、あがないの悪循環の過程が収まらない、収斂(しゅうれん)しない、ということになってしまう訳です。

だから、現代ならば、祈りと感謝行、古(いにしえ)の古代ならば自力の修行か、ここに説かれているように、突き放すようにするしかなかったものと考えられます。

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①追記: 2021/04/03 14:25
②追記: 2021/04/24 14:23
③追記: 2024/04/26 22:18
④追記: 2024/04/27 04:51
〜訂正内容〜

上記 複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。