おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

446_距離感

前回( 445_説教2 )、親子関係について私見を書きましたが、今回はこれをも含めた人間関係について書きたいと思います。

端的な場合、輪廻転生の末に悟りを得たような人同士の場合なら、神様の分けられた個性を持ちながらも、互いに尊重し、協調し、融合して、軋轢や問題は生じないと考えられます。

本来は、自由自在で、縛られる、束縛されることは嫌っていても、悟りを得ていれは、距離感も適正(神様的?)に保たれると考えられます。

しかし、輪廻転生の途中、多くの真善美に悖る想いと行いの業想念を積み重ねている肉体身では、これは絶対に望めないでしょう。

相手のために良かれと思ったことでも、上手くいかなかったり、程度が不適切でかえって迷惑がられたりすることも、稀ではありません。

日本人の場合は、相手を傷つけるのは極力避けることが多いですし、外国人さんのようにあまりハッキリとは否定の言葉を言えないことがほとんどなので、ストレスを溜め込むことになりやすいです。

そんな中で、親子だから、兄弟姉妹だから、親しい友人や知人だからと、その私生活や心の奥底まで、ズカズカと土足(?)で勝手に入り込み、あれやこれや、言われたり、介入・指図されたらどうなるでしょうか?

大元の自由自在が縛られるだけでなく、数々の業想念にとらわれた肉体人間のすることです。

ズブズブの人間関係になれば、いずれはドロドロのいさかいを起こすようになっていくことにもなりかねません。

たとえ、わが子の場合でも、肉体人間が自分だけで生きている訳ではないように、神様から命をお預かりしたものとして、それなりの敬意を抱く、というように・・・。

従って、当面のところは、美輪明宏さんのおっしゃっられているように、腹六分目で、つかず離れず、しかも、それなりにしっかりと見守り、危機緊急の時には惜しみない協力と援助を、見返りを求めずさりげなくこなす。

霊性がまだまだな、輪廻転生の途中の修行中の私達肉体人間には、こうした距離感をとりながら、人間関係を構築していくようにするのが無難だと思います。

見返りを求めたいのもヤマヤマかもしれませんが、ここは一つ涙を飲んで、適度な距離感でお願いしたいと願う愚か者です。

失礼致しました。

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追記: 2021/07/25 09:30 〜訂正内容〜

本文を加筆・訂正しました。