459_一択
以下は個人的な独断と偏見なのでお許し願います。
かなりの業想念にもなりますが、これもご承知置き願います。
これもだいぶ前に書いたことなのですが・・・。
私は予言が大嫌いです。
いい予言ならいい。
何の問題もない。
大歓迎です。
しかし・・・。
悪い予言はどうしても嫌悪感がわいてしまうのですよ。
なぜか。
肉体人間の真善美に悖る想いは、個人の想いの幽体にたまり、それが集まって想いの世界の幽界にたまり、これらは浄めてなくさない限り、この世での具現化の過程に乗ると考えられるからです。
不安、恐怖・・・。
こうしたものがたまるとどういうことになるか。
こうしたものを積極的に浄める人々が尽力しても、その力が及ばない場合には、こうした不安や恐怖はこの世で具現化するのではありませんか。
だから、不安や恐怖を煽(あお)ったり、これらを抱かせる予言が当たっただの、外れただのなんて何の価値もない。
どうでもいい。
それこそ、くだらない。
そもそも、そんなもの具現化させてはいけないんです。
普通の人には感じられない霊感や未来が予見できる能力があるとして、悪いものが感じられた、見えたからといって、公言してどうするのでしょうか。
大抵のこうした予見は、唯物論的にも防ぎようがないものが大半です。
人々に注意喚起するため?
防ぎようがないものを?
おかしいじゃありませんか。
こんなものは言わない方がいいに決まっている。
本当に霊性の開発された人、霊性の高い、そうした霊感などの能力のある人で、人格者であるならば、そんなことを公言するはずがない。
こうした肉体人間の想いが、運命として、この世に形としてあらわれることを知っているからです。
従って、霊感などの特別な能力のある人格者がなすべきことはただ一つ。
悪い予見があるのなら、黙って、祈りなどで、ひたすらこの世でのその具現化を防ぐために全力を傾ける。
この一択のはずです。
普通の人は、こうした未来を予見する能力はありませんから、怖いもの見たさ、興味本意で、こうした悪い予見を見ることが往々にしてあると考えられます。
ということは・・・。
悪い予見を知った人は、それに対する不安や恐怖の想いを抱く可能性があるということになるのですよ。
防げる内容ならいい。
防げない内容を明かしてどうするんですか、と問いたくなってしまうのですよ。
ただでさえ、この世は霊性がまだまだ開発されておらず、真善美に悖る想いと行いの業想念に満ちていて、不幸や災難があるというのに、これ以上、世の中を悪くさせてどうするんですか、と。
よって、予見をすることは、かなり重い意味があること、そして、それをする人でも、知った人でも、やるべきことはただ一つ。
そのこの世での具現化を可能な限り防ぐ努力をする。
この一択です。
この世を良いものにしたければ、これしか選択肢はない、と個人的には考えます。
従って、普通の人にはない特別な霊的な能力などがある場合には、それはあくまでも神様のみ心に沿った形で生かすべきだ、ということです。
神様からあらかじめ授かった特別な能力は、人様のために尽くすこと、そして、この世(と幽界と霊界の下層)を浄めてよくしていくために与えられたものなのだから。
神様は愛そのもので、その命を分けられた神様の子供である肉体人間の不幸や災難をわざわざ望んでいるはずがないのだから。
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追記: 2021/08/09 00:03 〜訂正内容〜
本文を訂正しました。