おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

519_仏言葉ー053 ー 悪業の報い

第 4 章 これから先がどうなるか不安

53.苦しみは長く続く

今回も、ダンマパダ(法句経)になる。

悪い行いの果報は
牛乳が凝固するようには、すぐに巡ってこない。
灰に覆(おお)われた火のように
(徐々に)燃えながら、愚か者に忍び寄る。

(七一) (第05章 愚か者 より)

この世で悪い想いを抱き、それを行いに移した時に、その報いがあらわれてくるまでの様子を比喩的に示した経文ですね、これは。

この世で良い想いを起こせば、原則として輪廻転生を通して、自らにかかわる良い行いとしての結果が来世以降のこの世にあらわれる。

悪い想いを起こせば、原則として輪廻転生を通して、自らにかかわる悪い行いとしての結果が来世以降のこの世にあらわれる。

問題となるのは、原因となる想いと行いの結果がいつあらわれてくるのか?ということですね。

直近の前世の時点で新たに作り出した想いと行いの結果が、すぐに次のこの世(今生(今のこの世))にあらわれるなら、割合と単純ですが、おそらく、そうはなっていない。

輪廻転生で、生まれる時代、国、環境を選んだ上で、そしてその因縁を作るのにかかわった他人の輪廻転生もにらみ合わせながら、結果(因果)はあらわれてくる。

自分が過去世でなした想いと行いが、来世以降の後々の自分に返ってくることは法則ではあるけれど、これがいつの時代の人生で、どのような境遇であらわれてくるかとなると、やはり、これは輪廻転生をする霊魂魄を見守る立場の守護の神霊さんが決めているのではないですかね。

守護の神霊さんは、その守りに当たる霊魂魄を浄めて成長させるお役目があるからです。

だから、どの時点で、どの過去世の因縁を果たさせる(因果としてこの世で受けさせる)かを、お考えになって割り当てているのではないか、と考えられる訳です。

まあ、五井先生に直接お伺いしなければ、本当のところはわかりません。これは、叶いませんので、個人的な推定になります。

まあ、普通は不幸や災難などは、特別の霊感や確実に未来が読める能力がある人(中途半端な不確かな外れる未来を予見する人はたくさんいる)以外はわからないので、この経文にあるように、肉体人間の預り知らないところで、ヒタヒタと忍び寄るような比喩が使われているのでしょう。

この世での想いと行いのかなりのものが、実は過去世の想いと行いの巡りであり、この世で新たに加えた想いと行いが、来世以降にあらわれてくるからこそ、この世での因縁因果の原因と結果の対応が見られず、この世だけの尺度で見ると不条理、不均衡、が蔓延するから、神様なんかいない、という人が唯物論者ではない人、例えば占い師さんなどにいるんでしょうね。