第 3 章 自分が何のためにいるのかわからない
44.自分の汚れを知る
今回は、ダンマパダ(法句経)ではなく、スッタニパータ になる。中村さんの訳を引用する(改変あり)。
人間のこの身体は、不浄で、悪臭を放ち、(花や香をもって)守られている。
種々の汚物が充満し、ここかしこから流れ出ている。
このような身体を持ちながら、自分を偉いものだと思い、また他人を軽蔑するならば、(彼は見る視力がない)という以外の何だろう。
(二〇五・二〇六 )
佐々木さんによると、これらは仏教の不浄観についての経文だそうだ。
どんなに着飾っても、他人から好感を持たれるような工夫をしても、所詮、中身の肉体はこうした側面を抱えたものだと再認識させてくれる経文でもある。
もちろん、若く、みずみずしく、美しい肉体もあるが、こうした見に見える物質的な側面を目安に、マウントなどの差別化をしがちな私達に警鐘を与えてくれる詩句とも言えるだろう。
さしずめ、現代的には、最低限の礼を備えた外見を整え、あとは差別などを厳に慎み、霊性の開発をも含めた中身を充実させよ、といったところか。