527_仏言葉ー061 ー 多分こうした感じ
第 4 章 これから先がどうなるか不安
61.将来の不安を払う
死ぬよりも前に、妄執を離れ、
過去にこだわることなく、
現在においてもくよくよ思い巡らすことがないならば、
彼は(未来に関しても)特に思い煩(わず)らうことがない。
(スッタニパータ) (八四九)
佐々木さんによると、これは(物や人などに対する)執着から離れられず物事をとらえながら過去や現在を見ていると、将来が不安になるという意味らしい。
死ぬよりも前に、という書き方が、とにかくわかりにくい。
原文の問題なのか、訳の問題なのかわからないけど、あの書き方はわかりにくいと思う。
さらに、中村さんの本の注釈によると、この経文での過去と未来は、前世や来世という意味合いではなくて、瞬間瞬間に推移していく時間のうちの過去や未来の時間という意味合いらしい(これもきわめてわかりにくいよお・・・)。
なので、
死ぬよりも前に、
ではなくて、
この世にいる間に妄執を離れる、
すなわち、
在世中に悟りを開くことができれば、
今から見てすぐの過去にあったことも、何らの現在から未来にかけての心配材料となってくることはないし、
今からすぐ先の未来のことも、
何ら心配して思い煩うこともない。
つまり、
悟りを開いていれば、
この世で生きていく上において、
その場(時点)その場(時点)で、
悩んだり、不安になったり、
思い煩わされることはない、
そうして右往左往することはなく、
落ち着いて、心穏やかでいられる、
という意味合いだ、
と考えられる。
悟りを開く、
つまり、
自らの本質は肉体そのものではなくて、
神様の命(仏教の表現なら仏の命)そのものであり、
この世で様々に起きてくる悪いことも出尽くし=過去世からの悪い因縁も浄め去って(悪いことは、肉体を得て輪廻転生を通して作った悪い因縁なので限りがあるが、良いことは神様の命、神様の世界から流れてくるので限りがない、尽きることがない)、
肉体にまつわる生老病死をはじめとするあらゆることからとらわれ(=執着)を放つことができる、
煩悩の炎が消し去られた状態としての、
涅槃の境地、
ということ。
このような状態になれば、
当然に六神通などもそなえて、
ありとあらゆることがわかるので、
自分は神様(仏様)と一つであったのだ、
自分は神様(仏様)そのものだったのだ、
自分の本体は神性(仏性)そのものだったのだ、
と体得して、
現時点でも、
過去や未来の時系列を通した不安材料は、
一切なくなるようになる。
だから、
安穏、安楽でいられる、
素晴らしい境地を心から楽しめる、
ということなんでしょうね。
とは言うものの。
これはあくまでも、
頭でっかちというか、
頭で考えたことなので、
実際にこうした人にならないと、
本当のところは感得できない。
わかりません。
言葉遊びというか、
机上の空論みたいなきらいがあるのが、
とても残念です。
お釈迦さんの在世当時のお弟子さんたちのように、
お釈迦さんに直に接触する機会があったり、
実際に悟りを開いた人でないと、
なかなかに実感できない境地、
ということです。
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・妄執~もうしゅう~仏教語~心の迷いから起こる執念。ある物事に執着すること。妄念。
・六神通( 209_原仏12ー22 に既出 )~ろくじんつう~神通力には、以下の 6 つが代表的なものとしてある。
露の団姫(つゆのまるこ)著
団姫(まるこ)流 お釈迦さま物語
春秋社
より
1 神足通(じんそくつう)
2 天眼通(てんげんつう)
3 天耳通(てんにつう)
4 他心通(たしんつう)
5 宿命通(しゅくみょうつう)
6 漏尽通(ろじんつう)
この中で、
特に宿命通、天眼通、漏尽通の3つは、
三明といわれる。
私のご提示できるのは、
ここまでです。
これ以上の内容を、
より詳しくお知りになりたい場合には、
お読みになられた方ご自身で、
よくお調べになって下さい。
よろしくお願い申し上げます。