おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

572_四諦について

前回( 571_仏言葉ー100 の補足3 )の続きです。

表題としては、
572_仏言葉ー100 の補足4_四諦について
とすべきところですが、
見出し的に長くなってしまうので、
572_四諦について
と改称します。
ご承知置き願います。

また、きわめて乱暴な言い方になりますが、
中村さんをはじめとする一般的な見解を通説とすると、
これにほんのかすかに霊的な視点を加えて唯物論の立場から批判的に検討を加えているのが、ひろさちやさんで、
さらに、これに霊性全面肯定・神様全面肯定の立場からうるさくケチつけをしていくのが私のやり方、
になります。

前回( 571_仏言葉ー100 の補足3 )冒頭にお断りしたように、
一般的な見解、
ひろさちやさんの独特な見解、
勝手節、
の順に書いていきたいと思います。

1.四諦(したい)とは何か

まずは、一般的な仏教の通説的な見解の前に、ごく常識的な認識としての四諦の意味を国語辞典から引いてみます。

四諦~したい~仏教語~(諦は真理の意)迷いと悟りの関係を説明する四つの真理。苦諦・集諦・滅諦・道諦の総称。

とあります。

般若心経の一節に、無苦集滅道がありますよね。

中村さん(中村元さんのことです)によると、苦集滅道を体得することが悟りになるとされます。

お釈迦さんが悟った後に、最初に教えを説こうとしたのは、修行は悟りの必須項目だとしてお釈迦さんを脱落者のように捉えた、 5 人の元修行仲間でした。

お釈迦さんは、まずは、彼らの下に出向いて(*1)、この四諦などの教えを説き、そして、彼らが、お釈迦さんの最初の弟子になったとされています。

このお釈迦さんが最初に教えを説いたことが、いわゆる、初転法輪(しょてんぼうりん)とされるものです。(*2)

1ー1.苦諦(くたい)

苦諦は、ごく簡単にいうとこの世は苦であるという真理のことです。

パーリ語の相応部では、次の通り(かなりの改変あり。以下同様)。

「実に尊い真理である。
苦しみは、次の通りである。
生まれることも苦しみであり、
老いることも苦しみであり、
病も苦しみであり、
死も苦しみである。
憂い・
悲しみ・
苦痛・
悶え
もまた苦しみである。
憎い者に会うのも苦しみであり、
愛する者に別れるのも苦しみである。
求めるものを得られないことも苦しみである。
要するに、執着の素因としての 5 つのわだかまりは、すべて苦しみである。」

いわゆる、人生は思い通りにはならないことばかりの四苦八苦だということです。

ここには、いわゆる、
生老病死(しょうろうびょうし)と、
五蘊盛苦(ごうんじょうく)、
怨憎会苦(おんぞうえく)、
愛別離苦(あいべつりく)、
求不得苦(ぐふとくく)、
が書かれています。

1ー2.集諦(じったい)

「実に尊い真理である。
苦しみの生起の原因は次の通りである。
すなわち、
再び迷いの生存をもたらし、
喜びと貪りとを伴い、
ここかしこに愛着をして歓喜を求める妄執である。
すなわち、
享楽的欲望を求める妄執と、
個体の生存を貪る妄執と、
生存の滅無を求める妄執である。」

そして、それらの苦しみの原因は、渇愛(タンハーの訳語)という、喉の渇きにも似た衝動的な貪りがあるので、これが苦しみの集まりの元になっている。

要は、執着を抱く主体も抱く対象としての客体も、(神様のみ心以外は)すべて万物流転、諸行無常だと、納得できないところから、欲望や執着が生まれてくる、あらゆることに対するとらわれを放てないところから、苦しむ。

これが、集諦です。

1ー3.滅諦(めったい)

「実に尊い真理である。
苦しみの消滅は次の通りである。
すなわち、
その妄執を完全に離れ去った消滅であり、
捨て去ることであり、
放棄であり、
解脱であり、
こだわりのなくなることである。」

これは、今までに何回も見てきましたけど、悟りの境地、いわゆる、あらゆる悩みの元となる煩悩の炎を消し去った、涅槃の境地ことですね。

涅槃の境地に至れば、もはや、苦しむことはなくなるから。

そういうことですね。

1ー4.道諦(どうたい)

「実に尊い真理である。
苦しみの消滅に導く道は、次の通りである。
これは実に 8 項目からなる尊い道(八正道)である。
すなわち、
正しい見解(正見)、
正しい思惟(正思)、
正しい言葉(正語)、
正しい行為(正業)、
正しい生活法(正命)、
正しい努力(正精進)、
正しい想念(正念)、
正しい瞑想(正定)、
である。」

簡単にいうと、涅槃の境地に至るための道筋を 8 つに分析した、ということですね。

これが、いわゆる、八正道だ、と。

以上が、おそらく、一般的と思われる、四諦に対する理解です。

長くなりましたのでここで一旦区切ります。

ご了承願います。

~~~~~

(*1)この経緯については、マッジマ・ニカーヤに出ています。なお、ひろさちやさんは、その「釈迦」という著書の中で、この経緯についても本当かどうか疑問を呈している。

(*2)初転法輪について

中村さんによると、仏(お釈迦さんのことでしょうね)の教えを転法輪(法輪を転(てん)ず)といい、その最初なのでこのように言うそうです。

輪(チャクラ)は、古代インドで使われていた円盤形の武器で、その円盤の外側に刃物をつけて用いて武器として使い敵を倒していたそうです。

それに例えた形で、お釈迦さんが、法(ダルマ)という真理を輪(チャクラ)を回して、人々の悩みや苦しみを救うための法を広めた、という意味合いなんでしょうね。

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①追記: 2021/10/16 15:35
②追記: 2022/05/28 22:25
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文と注釈を加筆・訂正しました。