第 5 章 やりたいことが見つからない
74.余裕ある心を持つ
あらゆる執着の対象を知りつくし
そのいずれにも執着せず
貪りと欲望を離れた聖者は、
その対象を追い求めない。
彼はすでに彼岸に達した者だからである。
(スッタニパータ)
佐々木さんによると、この経文は、欲望を捨てて、執着をなくした者の心境を言ったもののようだ。
対象を追い求めない、とは、欲望にとらわれて悪いことをしないだけではなく、良いことをすることにも当てはまるそうだ。
これは、すなわち、良いことをするにも、何らかの見返りを期待する場合のこと。
こうした、下心(?)があるうちは、まだまだ、執着を卒業したとは言えない、ということですね。
つまり、執着はあらゆる対象に及ぶということです。
でも。
執着を離れる云々もいいのかもしれないけれど、それ以前に、老子様の「無為にして為(な)せ」だと思います。
そこまで、行けば、執着を意識せずとも、神もよおしに、すべてがなされる。
その中に、当然に、良い行いは含まれるからです。
そんな気がします。
ただ、そうなるためには、悟りを開く、空観を行じることができるのが、大前提になりますけれど・・・。