おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

541_仏言葉ー074 ー 無為にして為せ

第 5 章 やりたいことが見つからない

74.余裕ある心を持つ

あらゆる執着の対象を知りつくし
そのいずれにも執着せず
貪りと欲望を離れた聖者は、
その対象を追い求めない。
彼はすでに彼岸に達した者だからである。

(スッタニパータ)

佐々木さんによると、この経文は、欲望を捨てて、執着をなくした者の心境を言ったもののようだ。

対象を追い求めない、とは、欲望にとらわれて悪いことをしないだけではなく、良いことをすることにも当てはまるそうだ。

これは、すなわち、良いことをするにも、何らかの見返りを期待する場合のこと。

こうした、下心(?)があるうちは、まだまだ、執着を卒業したとは言えない、ということですね。

つまり、執着はあらゆる対象に及ぶということです。

でも。

執着を離れる云々もいいのかもしれないけれど、それ以前に、老子様の「無為にして為(な)せ」だと思います。

そこまで、行けば、執着を意識せずとも、神もよおしに、すべてがなされる。

その中に、当然に、良い行いは含まれるからです。

そんな気がします。

ただ、そうなるためには、悟りを開く、空観を行じることができるのが、大前提になりますけれど・・・。