おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

545_仏言葉ー078 ー 仏教徒の幸せ

第 5 章 やりたいことが見つからない

78.やさしい言葉で

耐え忍ぶこと、
言葉のやさしいこと、
諸々の(道の人)に会うこと、
適当な時に理法についての教えを聞くこと、
ーこれがこよなき幸せである。

(スッタニパータ)

佐々木さんによると、耐え忍び、やさしい言葉を語り、修行者に出会いお釈迦さんの教えを聞くこと、これらがこの上ない幸せだと、お釈迦さんが言っているそうだ。

中村さんの注釈によると、道の人とは、漢字では沙門と音訳され、諸宗教を通じての出家修行者をいうそうだ。

徳行(何だこれ。手元の字引にでてないよ。徳があり、行いが整って立派な人ということか。ちなみに、ネットでは、すくれた徳とその行い、だそうだ)の高い人に会うことができれば、自然に自らが高められるから、それがすすめられているとのこと。

また、適当な時に理法についての教えを聞くというのは、適当な時に仏教の教えを聞くことを意味するのだそうだ。

具体的には、古代のインド人や現代の南アジアの人々は、半月の第八日および第十五日に寺院に参詣(さんけい)して教えを聞くことをいうのだそうだ。

現代の生活なら、読書や講演会、テレビで講話を聞くことがこれに相当するとのこと。

何だか、孔子さんの論語の一節、
「学びて時に之(これ)を習う。亦説(よろこ)ばしからずや」
(意訳)いろいろと良いことを学び、これを繰り返し行えるのは、喜ばしいことだ。
に何となく似てますね。

お釈迦さんと孔子さんは、時代もほぼ重なっているし、学びのあり方には、通底するものがあるんでしょうね。

佐々木さんのつけた表題のやさしい言葉のやさしいとは、優しいと易しいもかぶって解釈するのが適当な気がします。

そうした、すべてを含めたやさしさこそが、安穏にふさわしいやさしさだと思われるので。

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・通底~つうてい~複数の思想や事柄が根底で共通部分を持っていること。
(用例)両者の作品に通底する主題。