547_仏言葉ー080 ー 知恵の性質
第 5 章 やりたいことが見つからない
80.賢者は多くを話さない
欠けている足りないものは音を立てるが、
満ち足りたものはまったく静かである。
愚者は半ば水を盛った水瓶のようであり、
賢者は水やの満ちた湖のようである。
(スッタニパータ)
佐々木さんによると、中途半端で知恵が足りない人間は、ペラペラと余計なことをしゃべるが、知恵が満ち足りている賢者は静かだとのこと。
水瓶のたとえも面白いけれど、これはどう考えたらいいんですかねえ。
人格の向上に適う、真善美に悖らない知恵が蓄えられると、自然に人格が磨かれ、穏やかになるということなんですかねえ。
ちまたには、弱い犬ほどよく吠えるなんていうのもあるし。
ただ。
悟りや完全にはほど遠いんだろうけど、頭の中にたまっているのがわき上がってくるのか、次から次へとまくし立てるように話す人はよくいますね。
人にもよるけど、そうした人の中には凄いなあ、よく次から次へと、こんなにちゃんと淀みなく整理して話せるなあ、という人もいますからね。
こうした人を見ると、明らかにそれなりの力はあるので、一概には、中途半端で知恵が足りないとは言えないんじゃないかなあ。
その知恵の中に、品性や人格までをも含まれるならわかるんだけど。
例えば、恋愛ネタのマミ先生。
個人的な見方かもしれないが、あの人は相当に頭の切れる人に見える。
滑舌でも、話し方でも、おそらく、プロ顔負けなのではないか、と思えるくらい。
ただ、話の内容が場合によっては、どうしても品性や人格という点からすると、難しい場合があるので、この点だけは、ちょっと厳しいかもしれないけど。
何が言いたいかというと。
こうした人は、明らかに頭もいいし、話もうまいし、知恵がないとはとても言えない。
だから、ここで言っている知恵は、品性や人格までをも含むものを言っているのではないか、と考えられる。
今、扱っているのは、自らを修める仏教だから、人格の向上は当然なんだろうけど、そうした視点からすると、マミ先生のような人は、かなり有能ではあるけれども、人格の向上や品性という点では、まだ及第点には至らないということになる。
そうした意味も含んでいるんですかね、これは。
あと、この直前の経文も面白いたとえがあったので、引用しておきます。
ちょっと瞑想にかかわる部分を省いて、部分抜粋します。
河底の浅い小川の水は音を立てて流れるが、大河の水は音を立てないで静かに流れる。
ご参考までに。
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①追記: 2021/09/24 04:44
②追記: 2021/09/24 04:47
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、表題および本文を加筆・訂正しました。