おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

568_仏言葉ー100 ー 犀の角のようにただ一人歩め

第 6 章 心が晴れるためには

100.一人で涅槃へ

音声に驚かない獅子のように、
網にとらえられない風のように、
水に汚(けが)されない蓮(はす)のように、
犀(サイ)の角のようにただ独り歩め。

(スッタニパータ)

佐々木さんは、この獅子をライオンと訳しているが、中村さんの注釈では「音声に驚かない獅子」とは、なにものにもたじろがない態度をあらわしているそうだ。

佐々木さんは、締めくくりのせいか、次のように書いてある(改変あり)。

犀の角は、仏教の修行者の象徴である。

脅しも屈せず、罠にもかからず、汚れることもない。

まさしく崇高な「犀の角」のあり方だ。

それがお釈迦さんが考えた仏道修行者のあるべき姿なのである。

正しい道を、ただ一人、まっすぐに歩んで行きなさい。(*)

(*)佐々木さんは、この終わりの一文を次のように書いている。

正しい道を、一人、まっすぐに行け。

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以上で、佐々木さんの本にある 100 項目はすべて取り上げました。

あとは、佐々木さんの経文の訳の代替訳が見つからず、保留としておいたものを時間がかかるかもしれませんが、何とか埋めていこうと思います。

代替訳が見つかりそうにない場合は、前々回( 566_仏言葉ー098 ー 双方とも無常 )のように、書き方を変えた訳で置き換えて書くことにします。

ご了承願います。

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(追記)

「犀の角のように」について、ご参考までに、以前書いた文章を以下に引用します。

540_仏言葉ー073 ー 犀の角のように

第 5 章 やりたいことが見つからない

73.何事にも左右されない

貪ることなく、
詐(いつわ)ることなく、
渇望することなく、
(見せかけで)覆うことなく、
濁りと迷妄とを除き去り、
全世界において妄執のないものとなって、
犀(サイ)の角のようにただ独り歩め。

(スッタニパータ) (五六)

佐々木さんによると、これは自己中心的な間違った思いや欲望を捨てて、世の中を正しく見る洞察力を備えて、他のものに左右されることなく、サイの角のようにまっすぐ歩めという内容らしい。

サイの角は、アフリカのサイは角が 2 本だが、インドのサイの角は 1 本であるとのこと。

そのサイが林の中を角をぶらさずまっすぐに一人(一頭?)歩む時には、堂々としていることからくるたとえのようだ。

実は、スッタニパータの
第一 蛇の章 の
三、犀の角 には、
(三五) から (七五) までの経文があって、これらは末尾が、(四四) と (四五) 以外は、すべて、末尾が「~犀の角のようにただ独り歩め」という形になっている(改変あり)。

例えば、

あらゆる生き物に対して
暴力を加えることなく、
あらゆる生き物のいずれをも
悩ますことなく、
また子を欲するなかれ。(*1)
況(いわ)んや朋友をや。
犀の角のようにただ独り歩め。

(三五) (*1)子息と女子を含める。

交わりをしたならば愛情が生ずる。(*2)
愛情に従ってこの苦しみが起こる。
愛情から禍(わざわい)の生ずることを観察して、
犀の角のようにただ独り歩め。

(三六) (*2)交わりとは、
会うこと、
声を聞くこと、
身体で触れること、
おしゃべり、
享楽、
の 5 種類。
この解釈では握手もダメということになり、南アジアの比丘(びく。男性の出家修行僧)は決して握手をしない。
ただし、外人さんには握手をすることもあるそうだ。

朋友・親友に憐れみをかけ、
心がほだされると、
おのが利を失う。(*3)
親しみには、
この恐れのあることを観察して、
犀の角のようにただ独り歩め。

(三七) (*3)利とは、大切なこと。目的。

こんな感じです。

ちなみに、この形の締めくくりではない、 (四四)と (四五) も、ご参考までにあげておきます。

葉の落ちたコーヴィーラ樹のように、
在家者のしるしを棄(す)て去って、(*4)
在家の束縛を断ち切って、
健(たけ)き人はただ独り歩め。

(四四) (*4)在家者のしるしとは、
髪や髭(ひげ)を伸ばし、
白い衣服をまとい、
装飾品、花輪、芳香、塗料を用い、
妻子、奴婢(ぬひ)のあること。
なお、奴婢は、(古代の賤民。男性を奴(やつこ),女性を婢(めやつこ)と称する。
中村さんによると、この経文は、大体、仲間から離れて独りで暮らすことをたたえているものだそうだ。
これはインド人の伝統的な考えとも関係があり、インド人は、内向的性格があり、独りを楽しむ傾向があるとのこと。

もしも汝(なんじ)が、
賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者を
得たならば、(*5)
あらゆる危難に打ち勝ち、
心喜び、
気を落ち着かせて、
彼とともに歩め。

(四五) (*5)同伴者は、ダンマパダ (三二九) 参照とある。

思慮深く、聡明な人を
道連れにできないならば
国を捨てた国王のように
林の中の象のように、独り歩め。

(ダンマパダ)
(三二九) (第23章 象にちなんで より)

なお、協同し、とは高い目的のために協力すること。
高い目的とは、おそらく修行かこれに近い修養のことでしょうね。