おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

560_仏言葉ー092 ー とらわれを放とう

第 6 章 心が晴れるためには

92.得るのではなく捨てる

好ましいものも、
好ましくないものも、
ともに捨てて、
何ものにも執著せず、
諸々の束縛から離脱しているならば、
彼は正しく世の中を遍歴するであろう。

(スッタニパータ)

佐々木さんは、これを、それぞれに理想社会を手に入れようとする資本主義や共産主義のようなイデオロギーを捨てる、仏教の非イデオロギー的な側面をあらわした経文だとしている。

執著(しゅうじゃく)は仏教語で、現代語の執着のこと。

現代では遊行をして托鉢をするのは、あまりにも時代にそぐわないし、現実味がないように思えます。

執着するなって言ったって、それなりにモノは溢れているし、マスコミやインターネットも人の欲望を掻き立てる情報がこれでもか、と同じように溢れています。

物だけではありません。親子、兄弟、夫婦といった家族、そして、恋人、友人、知人の人間関係も、執着を生じることがたくさんあります。

だから、この経文の理想を現代において実現するのは、かなり苦しく、無理があるような気がします。

せいぜい、なるべく慎ましやかな生活をして、仏教などの教えを足がかりに、心を修めるように、霊性の開発にいそしむしかなさそうですね。

個人的には、段階的な精進をしていく、無理の生じにくい、世界平和の祈りと守護霊さんと守護神さんへの感謝行をおすすめしたいですけれど。