前回( 569_仏言葉ー100 の補足 )の続きです。
2.八支の道(八正道)をはじめとする仏教の教えについて
ひろさちやさんの本に以下のものがあります。
ひろさちや著 釈迦 春秋社
ひろさんは、この著書の中で、お釈迦さんが、そのはじめの教えの、
・四諦(したい)
・八正道(はっしょうどう)
・十二縁起(じゅうにえんぎ)
を説いたとされていることについて、異を唱えている(以下は、私の解釈も加えた意訳です)。
少なくとも、お釈迦さんは、最初の段階では、こんな体系的な教理・教学を構築していなかったはずだ、と。
だから、ひろさんは、こうもお書きになっています(改変あり)。
八正道は、別段、「八正道」である必要はなく、場合によれば「七正道」でも「九正道」でも「十正道」でもよく、八つの項目は無作為に選ばれている、と。
従って、これらはお釈迦さんが亡くなった後に、仏教学者などが、後付けでまとめ上げたものである、と。
お釈迦さんは、そうした教学の基本骨格になる大体の教えは説いたかもしれないが、端(はな)からこうした教え方はしなかったはずだ、と。
お釈迦さんは、仏教学者や仏教の哲学者ではなく、あくまでも、優れた宗教家であったのだ、と。
私もそう思います。
ただ、今までいくつか触れてきたように、私はひろさんとは違い、縁起に対しても否定的になりますけれど。
無茶苦茶に乱暴に言わせてもらうと、人の、人間のより良き生き方のために、すなわち、生活という実践のために、必要な人としてのあり方を、あんな綺麗に箱詰め(?)にして飾り立てて、議論をして、それにどれほどの価値があるのか、ということを感じるんですよ。
大事なのは、人間の想いとそのあらわれとしての行いです。
どんな立派な理論を構築しても、良い想いと行いに反映できなければ、実践できなければ、意味をなさないのではありませんか?
古い経文にもありましたが、人の想いは軽々と移ろいやすく、素早く動きます。行いはそれに伴います。
いちいち、分析したり、議論したり、考えている余裕はないはずです。
考えるのは、あくまでも、行為の後から、反省をして改善を繰り返しながら、漸次精進していく場合にしかないはずですよ。
基本骨格や指針は無意識的に、不意をついても出る(=行える)ように頭にとりあえずは叩き込む。
そして、実践して、反省と試行錯誤と改善を繰り返しながら精進していく。
そうして、教えを自然に身につけていく。
それしかないように思うんですけどね。
そのためには、出家をしての厳しい修行生活は、非常に適していたのではないでしょうか。
在家の生活よりはるかに。
余裕があれば、議論して、理屈を回して楽しむ(?)なり、法悦感に浸る(?)のもいいのかもしれませんけど・・・。
こうして、難しい理屈、難しい理論を味わっている間にも(?)、妙好人の源左さんや才市さん、宇右衛門さんの、何気ない、素晴らしい想いと行いが、無心な行いが、ヒョイヒョイと通り越して先を行く。
アッサリと追い抜かれやしませんか?
神様のみ心に沿う、人格の高さ、霊性の高さには、何が必要ですか?
人格が磨かれ、人として立派になるためには、何が一番大切ですか?
仏様(神様)の境涯に近づくために大事なことは何ですか?
何が一番大事なことですか?
その時々の想いと行いの内容に他ならないのではありませんか?
と、仏教の初心者の端くれの私としては思います。
涅槃の境地に至ることこそ大事。
これこそ仏教の至宝(?)。
しかし、それはそれとしても、私達はこの地球さんに一人ぼっちじゃないんですよ。
肉体人間は神様のお命により生かされていると書きましたが、そうであるならば、そもそも、生まれてくるのも神様のお命の働きかけがあるからこそになります。
つまり。
神様はそれなりの意味があって、この地球さん上にたった一人の人間だけではなくて、たくさんの人を送り出している、あらわしている、と考えられるんですよ。
一人で悟りを得れば、それでオシマイ。
本当にそれだけでいいんですか?
肉体人間でありながら、あらゆる肉体にまつわる執着を取り払い、仏様(神様)としての想いと行いをあらわし得れば、自然に周辺の人達を感化して、間違いなく良い影響は及ぼせるでしょう。
しかし、それだけですか?
お釈迦さんが、悟りを得てから、45 年間も人々のために生涯を捧げたのはなぜですか?
まあ、あまりグダグダ言っても仕方がないので、とりあえず、四諦、八正道(十二縁起は都合により省略します。ひろさんもあまり詳しく言及する必要はないような感じにお書きになっていらしたので)について、ひろさんの本も参考にしながら、見ていきたいと思います。
長くなりましたので、四諦、八正道の内容は次回以降に譲ります。
ご了承願います。
(追記)
以前に、中村元さんの原始仏典を見てきたのだが、中道、無我(古くは非我)、縁起について個人的に疑義が生じていることもあったので、再び、ひろさちやさんの指導教官であった中村さんの「ブッダの人と思想」 NHKブックス 中村元・田辺祥二著 という本を購入した。
すると、ひろさんと同じようなことが書いてあるではないか。
以下、その部分を記す(かなりの改変あり)。
ブッダは何を最初に説法したか。
その内容は今日はっきりとはわからない。
原始経典の中には 20 箇所以上にもわたって様々に説かれているために、これが最初の説法だと確定することは不可能なのだ。
一般には「中道」だとか「八正道」だとか「四諦」だとかされるが、これらは後世になりスッキリとまとめられた理法であり、当初からこのように体系的に説かれたとは考えられない。
「中道」にしても「八正道」にしても「四諦」にしても、「縁起」にしても、どのような言葉で説かれたのかはわからないが、それらの理法が渾然一体となって説法されたのではないか。
初めての説法は、数週間、あるいは1、2か月かかったかもしれないが、一方的にブッダが説いたのではなく、当然に対話形式であったはずであり、おそらく 5 人の修行者がブッダに問い、それにブッダが答えた形に違いない、と。
仏教の代表的な研究者の中村さんとそのお弟子さんのひろさんが、このように述べられている。
まあ、どのようにお感じになるかは、読まれる方次第だが、一応、書いておく。
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①追記: 2021/10/10 05:38
②追記: 2021/10/12 23:38
③追記: 2021/10/13 01:38
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。