おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

579_ひしみー001

以下に、ひろさんの本(ひろさちや著 釈迦 春秋社。このようにいちいち書くのは面倒なので以下はこうして「ひろさんの本」と略す)の章だてをあげておく(一部番号改変や一部平仮名の漢字化などの改変あり)。

01 釈迦はいかなる存在か
02 釈迦仏の誕生
03 伝説が語る「真実」
04 シッダールタ太子の問題意識
05 人間の内側にある老・病・死
06 「出世間」をした沙門ガウタマ
07 禅定と苦行、そして中道
08 天魔よ、汝は破れたり
09 梵天による懇請
10 初めて法輪を転ず
11 釈迦は何を教えたか?
12 仏教教団の確立
13 教線の拡大
14 仏弟子達の群像1
15 仏弟子達の群像2
16 晩年の釈迦
17 涅槃への道
18 阿羅漢の阿羅漢のための仏教

はじめに、あとがきに書かれているひろさんの言われていることを、私の強引な改変した意訳も含めて勝手にまとめさせてもらうと。

お釈迦さんがやりたかったことは、主としてできる限りこの世の苦しみに対している人々を救うことだ。

必ずしも、出家修行者が阿羅漢になり、悟れればいいのだけとは違う。

つまり、小乗仏教のように、出家修行者のためだけの教えではなかったはずだ。

お釈迦さんがこの世を去ってから、500 年経った頃に芽生えてきた大乗仏教は間違いなくお釈迦さんの遺伝子を継承している(何をもってそう言えるのか、ひろさんはここで具体的なことは一切書いていない)。

ただ、残念なことに、大乗仏教には信頼すべきお釈迦さんの伝記がない。普通に唯物論で考えたなら、お釈迦さんはあり得ないほどの超人的な存在に描かれてしまっているからだ。

お釈迦さんを人間的に扱った伝記は小乗仏教の文献に頼らざるを得ないのだが、それではお釈迦さんの教えが、小乗仏教的=出家至上主義的になってしまう。

そこで、このジレンマを解決すべく、私(ひろさんのこと)のような大乗仏教徒の立場から、小乗仏教の文献を使いながらお釈迦さんの伝記を著したのが本書である。

私(ひろさんのこと)のみる限り、世のお釈迦さんの伝記は、ほとんど小乗仏教の立場から書かれているので、お釈迦さんの教えが、出家至上主義的になってしまいやすい。

私(ひろさんのこと)は、私のような、大乗仏教徒の立場からお釈迦さんの伝記を捉えていくことこそ、お釈迦さんを真に理解するものだと、かたく信じている。

いささかの自負をこめて本書を世に問う者である。

といった感じです(私の意訳が信用できない方はひろさんの本を直接お読みになって下さい。かなり変えてしまっているので)。

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①追記: 2021/11/01 01:45
②追記: 2021/11/01 02:00
③追記: 2021/11/01 12:58
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。