おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

573_四諦について2

前回( 572_四諦について )の続きです。
前回は、四諦について一般的と思われる見方に触れました。

ひろさんは、苦諦をはじめとして、集諦、滅諦、道諦について、批判的検討(?)を加え、一般的な見解のあれが間違っている、これが間違っているとしていて、八正道も解説している。

が、大変申し訳ないのだが、仏教初心者である私の理解不足のためか、どうもくねくねしてつかみどころがなく、ハッキリ言ってピンと来ない。

むしろ、逆にこれこそおかしいのではないか?とさえ、疑問のわくところさえある。

従って、申し訳ありませんが、もう少しひろさんの本と他の本を読み込んで、考えがまとまってから、続きを書きたいと考えています。

更新までしばらくかかってしまうかもしれませんが、ご了承願います。

なお、前回( 572_四諦について )の注釈で触れた件について書いておきます。

悟りを得た後のお釈迦さんですが、一般的には、元修行仲間の 5 人、しかも、お釈迦さんを修行を中途半端で投げ出した脱落者だとした 5 人に説いたとされています。

中村さんによると、お釈迦さんはブッダカヤーからわざわざベナレスに、それも歩けば 10 日から 15 日はかかるであろう遠距離(現代は急行列車で一晩かかる距離とのこと)を移動したのは、リシパタナという仙人や修行者の集まっている所、すなわち、お釈迦さんの教えを理解できる可能性のある人達がいる所にまずはおもむいて、(どれだけの人がわかるかは別として)とりあえずは、広めるための足ががりを作るためだとしている(意訳)。

ひろさんの解釈もこれに似ていて、仏典が、お釈迦さんが、わざわざ元の修行仲間の 5 人に会うために来たように書いてあるが、これは本当はそうではなく、多くの宗教者が集まる所(ひろさんはこのように書いている)にやって来たお釈迦さんが、たまたま、元の修行仲間に再会したのであろう、としている。

前回注釈で書いたのはこのことです。