01 釈迦はいかなる存在か
・星である仏を目印に歩む大乗仏教
適当にまとめさせて頂く。
大乗仏教は、「あらゆる衆生を乗せて悟りの世界に導く」仏教だ。小乗仏教のように少数精鋭のエリートだけが救われの対象とはなっているのとは異なる。
しかし、前回述べたように、大乗仏教は、お釈迦さんを、悟りを得た阿羅漢からさらにはるか上の仏陀として位置づけた。
この仏陀が理想だとすると、たたでさえ阿羅漢になるのは超難関なのに、こんな仏陀は誰もなれるはずがない。
誰もなれないものが理想なんて、おかしいじゃないか、明らかな不平等だ、となるのだが、ひろさんは、だからこそ、みんなが平等だと言う。
つまり、お釈迦さん以外のすべての人は、有象無象として扱う、マイナスの平等だと言うのだ。
その中には、阿羅漢という超難関を突破したエリートもいるし、衆生、つまり、普通の人もいることになる。
従って、お釈迦さんだけは、特別扱い。あとは、有象無象の平等ということらしい。
ひろさんは、大乗仏教は、こうした平等にこそ意味を見いだしたものだと言っている。
大乗仏教徒では、その有象無象を菩薩と呼び、これは仏陀を目印としながら、悟りの方向へ向かう人のこととされる。
つまり、届かぬ天空に輝く仏陀という星を目指しながら、悟りに向かって地表を歩むのが私達であり、ひろさんはそれが大乗仏教の考えだ、としている。
(追記)すみません。前日夜にこれとほぼ同じ内容のものを操作ミスで上げてしまったので、勝手ながら一旦削除して、本日上げ直しました。失礼致しました。