おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

623_ひしみー045

05 人間の内側にある老・病・死

・人間には自分の「老い」が見えない

ひろさんの本には書いてはいないが、シッダールタ太子(少年期のお釈迦さん。以下は太子と略)が、食物連鎖に弱肉強食を見た前章の話は、樹下観耕(じゅかかんこう)と呼ばれ、これから見ていく四門出遊(しもんしゅつゆう)とともに、太子の出家の大きな誘因になったように一般的には言われている。

ひろさんの後の話の展開が個別的で長いので、ひとまず、四門出遊の話の概要を先に書いておく(今回は東門での老いの話)。

なお、これら東南西北の各門に出向いたのは、1 日内のこととされているのだが、ここはひろさんに従い、数日の間があるものとしておく。

太子は、お城の
東門から出た時に、みすぼらしい老人を見て(老人をはじめて見る?)ショックを受け、人間は老いることを認識し、遊楽をやめて引き返し、

数日後、
南門から出た時に、醜い病人を見てショックを受け、人間は病をするものだと認識し、遊楽をやめて引き返し、

また、数日後、
西門から出た時に、葬儀の行列(ひろさんはこのように推定している)を見て、人間は死ぬものだと認識し、遊楽をやめて引き返し、
(ここまでが中阿含経の柔軟経の回想)

さらに、数日後、
北門から出た時に、沙門(出家修行者)の清々しさに感動して出家を決意する。
(後世に加えられた四門出遊の伝説)
というお話が、いわゆる、四門出遊と呼ばれているもの。

ひろさんは、太子の問題意識を探るためか、あるいは、弱肉強食の自然界のあり方、すなわち、食物連鎖が弱肉強食の要素を含んでいることに対する疑問に対する解答を与えるために必要とするせいか、以下のような唐突な書き出しで、この章( 05 人間の内側にある老・病・死 )をはじめている(改変などあり)。

もう一つ検討すべき伝説がある。古来から四門出遊と呼ばれているものだ。シッダールタ太子 14 才の時の出来事とされている。

太子は、メランコリック(気が塞ぐような、憂鬱(ゆううつ)症的な)になっていたらしい(*1)。それで父親の浄飯王から、憂鬱は王家にはふさわしくないから郊外に遊びに行けとすすめられる。

太子は、東の城門を出て郊外の花園に向かうが、そこに一人の醜い老いさらばえた老人が出現する。

浄居天(じょうごてん)という高い地位の天人が変身した老人であった。

太子は生まれてはじめて老人を見て驚き、侍者(じしゃ)に「あれは何者か?」と尋ねる。(*2)

侍者が答える(お釈迦さんの回想による。ひろさんはこんな台詞(セリフ)を言えるのは大哲学者だけであり侍者らしくないとしている)。

「あれは老人です。
私達は自分は若いと思っています。
けれども若さといったものは驕(おご)りです。
人間は常に老いに向かって進行しつつある存在で、老いこそが人間の真実なのです。」

同じく回想を続ける。

「私(わたくし)はこのように裕福で、このようにきわめて優しく柔軟であったけれども、次のような思いが起こった。
愚かな凡夫は、自ら老いゆくもので、また、老いるのを免れないに、他人が老衰するのを見て、落ち込んでは、悩み、恥じ、嫌悪している。
我もまた老いゆく者で、老いるのを免れない。
自分こそ老いゆくもので、同様に老いるのを免れないのに、他人が老衰したのを見ては、悩み、恥じ、嫌悪するであろう。
このことは己にふさわしくないと言って。
私がこのように観察した時、青年時における青年の意気はまったく消え失(う)せてしまった。」

今回はここまでですが、四諦といい、八正道といい、この四門出遊といい、何となくキッチリしすぎているような・・・。

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(*1)お釈迦さんのお母様は、産後の肥立ちがよくなかったためか、出産後数日でお亡くなりになっている。

そのお母様の実の妹さんに育てられたとはいえ、やはり、何かお釈迦さんの心にかなりの喪失感という影響があったのではないだろうか。

(*2)この年まで一人も老人を見たことがないというのは、不自然というか、にわかには信じがたいことなのだが。

なお、ひろさんは、老人そのものを見て驚いたというよりも、人間誰しもが自覚し難い自らの老いのような日常的に気づき難い老いのように解釈した方がよいとしている。

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・遊楽~ゆうらく~遊び楽しむこと。遊びに出かけること。
(用例)遊楽の旅。

・清々~せいせい~さっぱりしてすがすがしいさま。気分が晴れるさま。
(用例)試験が済んで清々(と)する。

・憂鬱~ゆううつ~気持ちがしずんで心の晴れないこと。また、そのさま。
(用例)憂鬱な日々。憂鬱な顔。

・老いさらばえる~年をとってみじめな姿になる。
(用例)すっかり老いさらばえる。

・侍者~じしゃ~貴人に仕えて、雑用をつとめる者。

・驕り~おごり~人を見下げてわがまま勝手に威張ること。思い上がり。慢心。
(用例)心に驕りがある。

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①追記: 2021/12/15 04:55
②追記: 2021/12/15 12:05
③追記: 2021/12/15 12:10
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。