おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

627_ひしみー049

05 人間の内側にある老・病・死

ヘブライズムは、負けるために闘う

ひろさんは、ヘブライズムは、生きることは、死と闘って生きることだ、としていた。

死は点なので存在しないから(細かい難しい話は省く)、生を長くするために、老いとも闘う。

前回( 626_ひしみー048 )は、大体、こうした内容だった。

という訳で、ひろさんは、病についても同様だとしている。

ヘブライズムでは、人間は病と闘って生きなければならず、闘病の思想がヘブライズムの主流だと言い、老いと病がワンセットになっていると言う。

ただし、近代に入り、外部から体内に侵入する細菌などをやっつけることで、近代医学が成立した面はあるものの、本質は変わらないとされている(ように見える)。

すなわち、人間は老・病・死と闘って勝てるはずもなく、いずれは死を免れない(これ、肉体人間限定の話ですね)。

となると、ヘブライズムの闘い=負けるための闘い、になると言う。

人間は神から授かった生命力があり、これは老・病・死という外部自然(?)と闘うことを神に命令されているという。

ひろさんは、負けるために闘うことが、ヘブライズムの生きる目的だとお考えのようだ。

ひろさんは、これに対して、私達日本人はモンスーンに住んでいるから、違うと言う。

同じくモンスーンに発祥した仏教も同じだと言う。

そして、仏教においては、そもそも闘うという思想がなく、(ヘブライズムのように)負けるために闘うなんてことはてんで理解できないのだ、と言う。

さらに、私達日本人は、闘うとなると、勝つために闘ってしまうので、よって、現代医療がおかしくなっている、としている。

うーん。