05 人間の内側にある老・病・死
・ヘブライズムは、負けるために闘う
ひろさんは、ヘブライズムは、生きることは、死と闘って生きることだ、としていた。
死は点なので存在しないから(細かい難しい話は省く)、生を長くするために、老いとも闘う。
前回( 626_ひしみー048 )は、大体、こうした内容だった。
という訳で、ひろさんは、病についても同様だとしている。
ヘブライズムでは、人間は病と闘って生きなければならず、闘病の思想がヘブライズムの主流だと言い、老いと病がワンセットになっていると言う。
ただし、近代に入り、外部から体内に侵入する細菌などをやっつけることで、近代医学が成立した面はあるものの、本質は変わらないとされている(ように見える)。
すなわち、人間は老・病・死と闘って勝てるはずもなく、いずれは死を免れない(これ、肉体人間限定の話ですね)。
となると、ヘブライズムの闘い=負けるための闘い、になると言う。
人間は神から授かった生命力があり、これは老・病・死という外部自然(?)と闘うことを神に命令されているという。
ひろさんは、負けるために闘うことが、ヘブライズムの生きる目的だとお考えのようだ。
ひろさんは、これに対して、私達日本人はモンスーンに住んでいるから、違うと言う。
同じくモンスーンに発祥した仏教も同じだと言う。
そして、仏教においては、そもそも闘うという思想がなく、(ヘブライズムのように)負けるために闘うなんてことはてんで理解できないのだ、と言う。
さらに、私達日本人は、闘うとなると、勝つために闘ってしまうので、よって、現代医療がおかしくなっている、としている。
うーん。