06 「出世間(しゅっせけん)」をした沙門(しゃもん)ガウタマ
・沙門ガウタマは「出世間」をした
適当にいく(改変などあり)。
動機を明らかにせず、家族と音信不通となるのが蒸発なら、蒸発という表現は家族から見ての表現だ。
蒸発した当人には、何らかの動機や事情があったはずだ。
ひろさんはそうお考えらしい。
では、お釈迦さん(シッダールタ太子→沙門ガウタマ→仏陀=お釈迦さんのこと。以下は一々書き分けるのが本当に煩(わずら)わしいのでお釈迦さんに統一する)の動機や事情は何か?
それを私達は、第 4 章( 04 シッダールタ太子の問題意識 )と第 5 章( 05 人間の内側にある老・病・死 )で、お釈迦さんの問題意識を探っておいた(これは、これまで書いてきた、食物連鎖に伴う生命がいとも簡単に奪われるむごさ(第 4 章( 04 シッダールタ太子の問題意識 ))と、肉体人間としては避けることのできない(とされている)老・病・死を四門出遊から思い至らされたこと( 05 人間の内側にある老・病・死 )を指しているのだろう)。
だが、ひろさんは、お釈迦さんが明確な問題意識を持っていたとはいえないという。
ひろさんはお釈迦さんの問題意識を、彼が仏陀となって解決したことからさかのぼって見ただけだとする。
つまり、何が問題なのかはあくまでも不明だから、現代で言うなら、お釈迦さんはホームレスになったのだ、という。
以下、ひろさんのいうことをまとめると(改変多々あり)。
いいですか、出家と言えばすごく高尚に聞こえる。しかし、出家が立派なものとされるのは、日本特有の事情があったからである。日本の僧侶は律令制の下で試験に合格した国家公務員であり、身分を保証され尊敬されていたからだ。
でもね、インドにおいては、出家者は基本的にホームレスだ。このホームレスがする托鉢を乞食と呼ぶから、ホームレスは物もらいである。
従って、日本的な高尚な感覚でお釈迦さんの出家を捉えるのは間違いだ、とされている。
ひろさんは、お釈迦さんは蒸発してホームレスになったとするのが、妥当だとしている。
ただし、お釈迦さんは、ごく普通のホームレスの人達とは明らかに異なり、漠然とした問題意識があったはずだ、とひろさんはいう(???。さっき言ったことと矛盾している、自家撞着なのではないか?)。
それは、お釈迦さんが、マガダ国の王舎城で、その国王ビンビサーラとの会見に見てとれることのようだ。
そこで、お釈迦さんの言っていたこと、すなわち、自らが蒸発したのは、(肉体人間としての諸々の)欲望をかなえるためではないことと、出離は安穏だということ、の 2 つのこと。
ひろさんは、これが重要な発言だとされている。
かなり長くなったので、勝手ながらここで区切ることにする。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
追記: 2021/12/23 05:27
〜訂正内容〜
本文を加筆・訂正しました。