06 「出世間(しゅっせけん)」をした沙門(しゃもん)ガウタマ
・仏教徒は政治から離れるべきだ
内容的には前回( 644_ひしみー065 )の続きです。
適当にいきます。
ひろさんの書いてある内容と順番が前後しますが、あらかじめご了承願います。
ひろさんは、前回の出世間から仏教者(仏教を信奉するという意味だろう)のとるべき態度は、「ご随意になされればよい」としていた。
だとすれば、私達仏教者は、アナキストでなければならぬ。仏教者は釈迦の弟子であるのだから釈迦の態度に学ぶべきだ、と。
その後に、こう書いてある(改変などあり。以下の文章にすべて同様)。
だが、私がこう言えば、予想される反駁(はんばく)がある。それじゃあ仏教は、パンを求めて泣き叫ぶ者を見殺しにするのか?!というものである。
でも、考えてほしい。イエスのところでも言ったが、パンを求めて泣き叫ぶ者をつくったのは政治家ではないか。
政治家が貧しい者から搾取をして金持ちに与え、その結果、貧しい者はますます貧しくなり、ついにはパンを求めて泣き叫ばねばならなくなった。
政治家がそういう社会をつくっておいて、その尻拭いを仏教にさせようとするのか。
ごめんだよね。パンを求めて泣き叫ぶ人間の問題は、そういう社会をつくった政治家の責任だ。政治家に責任を取らせましょうよ。
また、ひろさんは、こうも指摘している。
日本の仏教者には体制派が多い。保守的で、権力側についてしまう(と内心はお嘆きなのかもしれない)。
これは日本の仏教がその伝来以来、ずっと国家仏教であり、僧侶が国家公務員であったためだろう、としている。
さらに加えて、江戸幕府はキリシタン弾圧のために、民衆がすべて仏教徒になる檀家制度がつくられた。
そこでは、僧侶は檀信徒の戸籍を管理し、これによって檀信徒の道徳取締官・思想取締官になったそうだ。
すると、日本における僧侶は、権力の番犬であり、従って、体制護持的になるのは当然だ、とされている(ひろさんは、但し書きを入れていて、日本の僧侶すべてが権力の番犬だったのではなく、反抗した仏教者も数多くいたので、体制護持なのはあくまでも傾向とのこと)。
しかし、これは釈迦の教えではない、とのこと。
とにかく、日本の仏教は、歴史的に国家仏教だったので、傾向として日本の僧侶達は保守的になりやすく、権力の番犬になりやすいのが、日本の仏教の反省点の一つなのだそうだ。(*)
おおよそのところとしては、政権党に投票したら、現実の社会が理想の世の中であると判断したのだから、政権党が何をしようと泣き言を言いなさんな、政権党と一緒に責任を取りなさい、ということらしい。
しかし。
そもそも、民主主義が理想通りに機能しなければ、これも、何とも・・・。
だって、ちょっと考えたら、人に対してあるべき、より良き生き方としての拠り所としての宗教(この場合は仏教)が、人が寄り集まった社会になったとたんに、一切の関与は認められない(?)。
この方が、理屈としては、むしろ、不自然でおかしいんじゃないの?
まあ、ここで暗黙の前提とされているのは、「権力は腐敗する傾向を持ち、絶対的な権力は絶対的に腐敗する」なんでしょうね。
多分、こういうことでしょう。
人が集まと必ず腐敗がおこる(または起きやすい)。なぜならば、たった一人でも悟りを開くのは容易ではないから。
だから、こうした腐敗した人の集まり(?)に宗教がかかわることは、場合によっては、その意思決定に宗教が絶対のお墨付きを与えるような本末転倒なことになりかねない。
このような事態だけは、人としてのあるべき拠り所を指し示すべき宗教が、悪の手先(???)になるような事態だけは、絶対に避けなければならない。
よって、宗教は人の集まりとしての社会、そしてこれを司る政治にかかわってはならないのだ、と。
つまり、人は業想念に振り回されやすいもろい存在だから、今の霊性の段階では、宗教を政治にかかわらせる訳にはいかない、と。
まあ、大体、こんなところなんじゃないですかね。
建前はともかくとしても、本音としては。
世の中の有り様が、偶然の産物、個々の人間や組織の出たとこ勝負の結果なら、そこに必要なのは、上手い世渡り、すなわち、自分だけが甘い汁を吸い、いい思いをして、いい生活をすること。
他人様の甘い汁やいい思いやいい生活は、自分が満たされた後の、あくまでもおこぼれ(?)扱い。
これが、人間=肉体人間の肉体人間観と唯物論による帰結ですね。
しかし、・・・。
というのが、宗教の道で、より良き生き方とより良き社会を求めていく道になるんでしょうね。
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(*)自分的には、日本は四方を海に囲まれた島国であり、どうしても内向きで保守的になりやすく、ある程度、調和を旨としなければならない忖度社会、村社会の傾向があるために保守的なような気もするが。
まあ、よくわかりません。
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・信奉~しんぽう~(ある教えや主義などを)かたく信じて従うこと。
(用例)信奉者。師の説を信奉する。
・随意~ずいい~思いのままであること。束縛・制限のないさま。
(用例)ご随意にお取り下さい。
・反駁~はんばく~他人の意見や攻撃に対して、逆に論じ返すこと。
(用例)批評に反駁する。
・檀家~だんか~仏教語~その寺に墓地を持っていて、葬儀・法要などを依頼し、布施などをする家や信徒。
・信徒~しんと~ある宗教を信仰している者。信者。
・忖度~そんたく~他人の気持ちを推(お)し量(はか)ること。推察。
(用例)相手の心中を忖度する。
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①追記: 2022/01/08 04:45
②追記: 2022/01/08 05:00
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、本文と注釈を加筆・訂正しました。