おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

658_ひしみー079

前回( 657_ひしみー078 )の続きです。

以下はかなりおおざっぱな話になるが、ご了承頂きたい(なお、適宜、意訳、改変などあり)。

ひろさんは、お釈迦さんの出家に結びつけて、とりあえず、樹下観耕の話をあげておいたのだろうが、これはあまり意味ないんじゃないですか。

なぜならば。

前にも書きましたけど、お釈迦さんの最後の旅路で、虫を踏み潰して殺すことのないよう、下を見ながら注意深く歩く、お釈迦さんや修行者の話がありました(中村元著 原始仏典 ちくま学芸文庫 大パリニッバーナ経)。

経典には、お釈迦さんは「目を下に向けて気をつけている」と書かれ、中村さんによると、「路上の虫さえも踏み潰して殺さないよう、裸足で旅を続けていた様子が窺(うかが)われる」としている。

その旅路は、ナーランダー、パータリプトラ、ヴェーサーリーなどを経(へ)る、350 km にも及ぶものだそうだ。

しかも、馬車ではなくて、徒歩(裸足)ですよ。

車を運転しても、長い距離なのに。

これが事実だったとすると、強い者(人間)が、やたらにやむを得ない理由もなく、弱い者(虫)の命を、奪ってはならない、という内容を読み取ることができる。

お釈迦さんは、お弟子さんによっては、その固有の事情により、履(は)き物を履くことを許していたが、基本はこれである。

ということは、これは、生きとし生けるもののすべての命を尊重して、これをむやみに奪うことを許さない発想なのではありませんか?

ということは、むやみやたらに強い者が弱い者の命を奪ってはならない、という内容は、こうした虫の命を奪うことの理由がわからなかった、とも解釈できる訳です。

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追記: 2022/01/20 23:57
〜訂正内容〜

本文を加筆・訂正しました。