おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

678_ひしみー099

前回( 677_ひしみー098 )と前々回( 676_ひしみー097 )と脇道に逸れたので、本来なら、ここから( 675_ひしみー096 )の続きとすべき順番なのだが、まだいくつか気になっていることがあるので、この際なので書いておくことにする。

今回は、中道についての話になる。

1.中道のヒント

前に、八正道の不必要と思われるほどの細かい理論展開( 569_仏言葉ー100 の補足、570_仏言葉ー100 の補足2、674_ひしみー095 )に比べて、中道のあまりにもの大雑把な理屈の展開の仕方にケチをつけた( 674_ひしみー095 )。

実は、お釈迦さんがこのような大雑把な中道を決めるヒントになったような出来事が、中村さんの本とひろさんの本に取り上げてあったのだが、個人的にあまり重要だとは思えなかったので、勝手ながら故意に省いていた。

まあ、個人的には、これがヒントなの?とちょっと大雑把だなあ、と感じたので・・・。

なぜならば、ヒントとして何となく参考にしたという感じで、あまりビシッとした理詰めの話には思えなかったからだ(下記のように、別の観点からなら十分に納得できる話なのだが)。

ちょうど、お釈迦さんが苦行をやめた理由をはっきりさせなかったところと通じている感じですね。

それはともかく。

この際なので、やはり省くのはやめて、ご参考までに取り上げておくことにする。

骨と皮になってしまうくらい激しい死ぬほどまでの苦行(?)をしていたお釈迦さんは、ある日、尼連禅河の湖畔を歌を歌いながら歩く1人の農夫に遭遇する。

その歌は以下の通り。

絃(いと)がつよけりゃ強くて切れる
絃が弱けりゃ弱くて鳴らぬ
緩急正しく調子を合わせ
手振り足振りリズムに踊れ

ひろさんのご本に書いてあるのは、これにひろさんご自身の創作を加えた以下の文章だけである。

琵琶の絃
きりり締めれば ぷつり切れ
さりとて弛(ゆる)めりゃ べろんべろん

ひろさんによると、これで沙門ガウタマ(お釈迦さん)の頭に「中道」という言葉が閃いたとしている(サンスクリット語で、マドゥヤマー・プラティパッド)。

これはお釈迦さんの弟子シュローナに語ったとされる話にあることだ。

苦行もほぼきわめ尽くして、悟りへの光明が見えていなかったお釈迦さんには、あまりにも出来すぎのタイミングで遭遇した出来事ですね。

ただし。

お釈迦さんが悟りを完成させるまで、見守り、お導きになった守護の神霊さんのお仕組み(この時点でお釈迦さんと農夫さんの過去世の因縁を結ばせた)ととらえれば、十分に納得がいきます。

単なる偶然でこんなうまい巡り合わせがあると考えるのは、ちょっと無理筋に思えるからです。

偶然だとすれば、こうした事に巡り合わせるのは、行き当たりばったりで、不確定にしかならないからですよ。

偶然にしてはあまりにも出来過ぎている。

これをどのようにとらえるか、という話です。

2.中道のつかみにくさの訳

ひろさんのお師匠さんの中村さんのお話を読んでも、やはり、漠然としか感じられないんだなあ。

「・・・中道の実践には片寄りを正すという意味があるのです。
これは必ずしもやさしいことではありません。
その場その場に最もふさわしいものになって生きること、これが中道であります。
中道の道とはあくまでも実践の道であり、選択の道であり、批判と反省の道でもあります。
二極のとらわれから離れている意味で、清浄行にも通じていることを忘れることはできません。
ブッダが中道を教えたエピソードとして、仏弟子のソーナ(上記のひろさんのお話の中のシュローナのこと)の例が有名です。
「弾琴のたとえ」と言われるものです。
激しい修行で行き詰まったソーナを、琴の弦の張り具合を例にとり、苦行にも似た修行のやり過ぎを戒めるお話です。
よい音色を出すためには、糸を張りすぎても、緩め過ぎてもいけない、ちょうどよくととのえることが必要であるのと同じように、修行も中をとらなければならぬ、とブッダは教えました」(改変あり)

やっぱり、クネクネしてとらえどころがない。

何だか、わかったような、わかんないような、訳わかんないですね。

というか、話がピシッとすっきりしない。

なぜ、このようになっているのか?

個人的にわずかに納得できる話を中村さんの別のご本で読んだことはあるので、記しておく(この本を読んでいなかったら、本当に完全なモヤモヤのままだった。だからといって完全に納得できた訳ではないのだが)。

これまでのひろさんのお話や中村さんのよく読まれているであろう書籍や、一般的な仏教に関する書籍だけでは、中道の内容は上記のように語られるだけで、今一つはっきりしない。

ただ、上述のように中村さんのご本をいくつか読んだ中で 1 冊だけちょっと手がかりになるかな?と思えた箇所があったので、それだけを記しておくことにする。

部分的な引用でもあるし、それでもかなり長いのだが、ヒントになったので、引用する(なお、この本には引用についての縛りはなかった。ただし、私の判断で部分的に内容や言い回しをわずかながら適宜改変する。なお、今回は引用部分内のひろさんのご本の用語と表記が異なる、中村さんのご本の用語の詳しい注釈などは書かない。お知りになりたい方は各自お調べ頂きたい。なお、本で傍点を振ってあったところなどは、ーーー  ーーー のように分けて書いた)。

(前略)

・・・結局四禅、すなわち、四種の禅定を完成して、衆生の運命を見極めたことに帰する訳である。
特に肉眼をもって神の本性を見ることはできないから、「天眼をもって見よ」という教えは、インド教の国民的聖典バカヴァッド・ギーターに説かれているが、仏教もこれと同じような思想を取り入れているのである。
また、他の教典では、
「我が、正覚よりも以前に、いまだ悟りを開かず、ボーディサッタであった時に、このように考えた。
「今、我はそれぞれに二種類にして思慮のうちにとどまろう」と。
かくして我は、欲の思慮と、瞋(いか)りの思慮と、害の思慮とを一つの部分とし、離欲の思慮、無瞋の思慮、無害の思慮を第二の部分とした」
と言い、その一々を説明した後で、四禅を成就したことを言うが、その内容は前に引用した文句とほぼ同じである。
他の経典でも同様に言う。
ところで、四禅の説は古い詩句の内には述べられていないから、おそらく仏教がかなり発達してから右のような長々しい経典の説明も成立したのであろう。

釈尊は苦行を捨ててから悟りを開いた、と一般に言われているが、やや遅いある経典によると、晩年の釈尊が弟子サーリプッタに過去の回想を述の形で、自らが若い頃に物凄い苦行を行ったことを述べている。
そこには、当時のありとあらゆる苦行が述べられているが、結局それらは意味のないものであった。

「その行動、その実践、その難行によっても、私は人間の性質を超えた特別完全な聖なる智見に到達しなかった。
それは何ゆえであるか?
この聖なる智慧がいまだ達せられていなかったからである。
この聖なる智慧が達せられたならば、それは出離に導くものであり、それを行う人を正しく苦の消滅に導いてゆく」

釈尊が修行を捨てたことは、「大サッチャカ経」では、さらに具体的に述べられている。
釈尊が、アーラーラ・カーラーマとラーマの子・ウッダカに教えを問うたが、満足しえなかったので、自ら厳しい苦行を修したことを説いた後で、言う。

「その時私はこう考えた。

「このように極度に痩せた身体では、かの安楽は得難い。
さあ、私は実質的な食物である乳糜(にゅうび)を採ろう」と。

そこで我々は実質的な食物である乳糜を採った。
その時私には 5 人の修行者が近づいて、
「修行者ゴータマがもしも法を得るならば、それを我らに語るであろう」
と言っていた。
ところで、私は実質的な食物である乳糜を採ったから、その 5 人の修行者は私を嫌って、
「修行者ゴータマは貪る形で、努め励むのを捨てて、贅沢になった」
と言って、去って行った。
そこで私は実質的な食物を採って、力を得て、もろもろの欲望を離れて、不善なる事柄を離れ、粗なる思慮あり、微細な思慮あり、遠離から生じた喜楽である初禅を成就していた」

次に四禅を成就したことを一々述べている。
この経典には漢訳がない。
このパーリ文もかなり遅い編纂ではないかと思われるが、苦行を捨てたことは、
この

ーーー 新しい層になってはじめて詳しく出てくる。 ーーー

この 5 人の修行者は、後代のある仏伝によれば、ウッダカの下でしていたゴータマが短時日の間に師の究極の境地にまで達したことを知って、師を捨ててゴータマに従っていたという。
ゴータマとこの 5 人の修行者はガヤー山頂に向かい、
「山頂において一樹の下にあって、草を敷いて座し、思惟をなした」
次いで、彼らは、
「ウルヴェーラーの池の側の東面に至りら、ネーランジャラー川を見た」という。
また、
「乳糜を採った」
と言うが、後代の仏伝によると、ウルヴェーラーのセーナーニー村人の長者の女でスジャーター(善生)という少女が乳糜を捧げたのだと言う。
他の仏伝によると、ウルヴェーラーの「聚落(集落)王」セーナーパティという人に、10 人の童女があり、
「諸女はすでに菩薩が苦行を捨ておけるを知り、すなわち、種々の飲食を作って奉献せり。
いまだ多くの日を経ざるに、(彼の)色相は光悦なり」
10 人の童女の内、最も若い人がスジャーターであった。
このように、

ーーー 苦行を捨てたという伝説が次第に発展増広していっている ーーー。

最初期の仏教は苦行を誉め称えていた。仏教徒も、

ーーー 苦行を行わねばならぬ ーーー

と明言している。
しかし、実質的には、おそらく他の諸宗教よりも楽な修行を行っていた。
仏教徒は最初からジャイナ教徒の苦行との間には、はっきりと一線を画していた。

「厭離者にして聡明な修行者は、四種の制戒によってよく守り、見たり聞き学んだことを説いている。
彼に実に罪は存在しないであろう」

「厭離者」とは、注によると、「苦行によって悪を厭い離れる者」であり、四種の制戒とは、
(1)「すべて冷水を用いない」
(2)「すべて悪を斥ける」
(3)「すべて悪を斥けることによって悪を離れる」
(4)「すべての悪を離れることに達する」
を言う。

(中略)

しかし、こうした厳しい修行は、仏教徒の採用しないものであった。
もちろん経典の最古層においては、いまだ諸宗教の実行する苦行に対する意識的反発は現れていない。
ところが、他の諸宗教、すなわち、ジャイナ教、アージーヴィカ教などがこの点を突いてきて、仏教徒は怠けていると言ったので、仏教徒は自己の態度を擁護し、主張する必要が起こった。
そこで「中道」が意識的に説かれるようになり、釈尊が修行中に

ーーー 苦行を捨てたという伝説が積極的に発展せしめられたのであろう。 ーーー

ーーー だから、釈尊の悟りを中道と結びつけてはっきり説くようになったのも、やはり後世のことであろう。 ーーー

そして、この中道の観念は、後世の仏教では非常に重要なものとなった。

また、他の経典では、人生が、生まれ、老い、病い、死、憂い、汚れに満ちたものであることを厭うて、ニルヴァーナを得たと説いている。

「修行僧らよ。
かくして私は、自ら生ずる質のものでありながら、生ずる事柄のうちに患いを見て、不生なる無上の安穏・安らぎ(ニルヴァーナ)を求めて、不生なる無上の安穏・安らぎを得た。
自ら、老いるもの・病むもの・死ぬもの・憂うるもの・汚れたものであるのに、老いるもの・病むもの・死ぬもの・憂うるもの・汚れたものの内に患いのあることを知って、不老・不病・不死・不憂・不汚なる無上の安穏・安らぎを求めて、不老・不病・不死・不憂・不汚なる無上の安穏・安らぎを得た。
そうして、我に知と見が生じた。

「わが解脱は不動である。
これは最後の生存である。
もはや再び生存することはない」と。

(後略)

かなり、長々と引用したが、何が言いたかったのかと言うと・・・。

仏教における中道は、大々的に喧伝するものでも、中心的な理論として派手派手しくする性質のものではない、ということです。

元々の仏教は苦行に否定的ではないし、ある程度の厳しさは当然なものと考えられていた。

苦行はあくまでも命にかかわるほどのやり過ぎの場合にだけ注意をするか、お釈迦さんやお釈迦さんの直弟子といった先達の方々に注意して頂ければよい。

だから、ことさらに苦行を否定して、教義に掲げて、わざわざ、ああだこうだなどと言うまでもない、と考えていたのではないか。

しかし、それだけでは、ジャイナ教などの他宗に比べて、修行がきつくない=苦行をきわめるところまでいかない、のを言質のように取られて、他宗から怠けていると批判されるのを避けるために、仏教の修行の適正さを外部に向かってわからせる必要が出てきた。

そこで、次第に経典が書き加えられ、仏教の教義としても、中道はある程度重要な位置づけとされることになった。

つまり、中道は、仏教そのものが内在的に内から必然として出てきたお話と言うよりも、他宗との比較で理論の体裁を整えるために構築された話ではないか、と思える訳です。

まあ、以上は、あくまでも素人の勝手きわまる独断と偏見です。

何卒、ご理解、ご容赦のほど、よろしくお願い申し上げます。

なお、この引用については、下記の本を用いた。

中村元釈尊の生涯(平凡社)

他参考文献

中村元著 原始仏典(ちくま学芸文庫)
中村元ブッダ入門(春秋社)
中村元・田辺祥二著 ブッダの人と思想(NHKブックス)
ひろさちや著 釈迦(春秋社)
・露の団姫著 団姫流 お釈迦さま物語(春秋社)
・落合誓子著 女たちの「謀反」ー 仏典に仕込まれたインドの差別 ー (解放出版社)
・仏教ハンドブック 瀬戸内寂聴編(三省堂)
・正木晃著 あなたの知らない「仏教」入門(春秋社)
・長田幸康著 これだけは知っておきたい図解はじめての仏教(KADOKAWA)

などその他

(追記)なお、念押しにはなるが、この中村さんの経典の引用を見る限り、修行仲間であった 5 人がお釈迦さんを見捨てたのは、スジャーター(スジャータ)から乳糜(乳粥)を供養された事実のみに読み取れる。

供養された乳糜を食べたこと自体が、堕落したという書き方になっている。特に、スジャーターの身分云々は問題にされる記述はない。

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追記: 2022/06/21 21:35
〜訂正内容〜

本文を加筆・訂正しました。