14-KS-140805
輪廻からの卒業は、本当に無条件スキームで可能なのですか?
これ、かなり地道に真善美に悖らない霊性の開発をしなければ、難しいはずなんですけど。
アセンションの有無(これで以下の内容も変わる)は知りませんが、極論すれば、宿縁の悪を調子に乗って通り越し、カルマ三昧に耽ったような人が、何をしようと、そう簡単にパスポートを貰えるとは思えません。
もっと穏やかな例を挙げれば、何者か(幽界の生物から神仏まで)を利用した念力に頼り、業で無理矢理とった利益は、それなりの代償を払う羽目になるのと違いますか?
本来の神仏の道に沿えば、減らない利益が授けられるが、そうでないものは・・・と思うんですけど。
いかがでしょう?
つまり、取引に非ずの天の蔵に宝を積めば、今生ではダメでも、来世以降の何時かには実る(涙)ということで、法則は厳しいのではないでしょうか?
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15-KS-140813
般若心経は難しいですよ。
私は五井先生のご本でやっと少し理解できたような気がしました(空を感得しなければ、般若心経を本当にわかったとは言えないと思うので)。
お坊さん、学者さん、ヨガ実践までされた方など、沢山の解説本があり、読み出すとかなり大変です。
極論すると、前世、前々世、前々々世、・・・と、数多の過去世の大いなる積み重ねに加えて、現世での精進が神仏の所定の臨界点に達しなければ、感得(字面の表面的な理解ではありません。五感以上のあらゆるものをフルに動員した上での体得)できません、多分。
言い換えれば、単なる表面の文言解釈で、簡単に講釈ができるほど甘いお経ではない、ということですね(逐条解釈や文脈の飛躍だけにこだわっただけでは、簡単には意は汲めないのではないでしょうか。これが、いいのか悪いのか知りませんが)。
読む人の前世、前々世、・・・と、数多(あまた)の過去世からの霊魂魄の練磨と精進具合によって、理解の如何(いかん)が決まる訳ですから。
特に、色即是空と空即是色の違いを、他の用例の同義反復とは異なると明確に説明してくれないと訳がわからなくなります。
却って、意味がわからずとも、神仏に悖らない謙虚な気持ちで素直に行ずる方がいいですよ(現世利益オンリーや他者損壊利用は NG です)。
守護の神霊さんが、時来たりとご判断されれば、行じる人に感得する機会をやがてお与えになるでしょう(今生とは限らないかもしれませんが (泣) )。
お経としてはかなり短い般若心経も、3 分前後は要しますので、時間がなく素直に行ずるタイプの方なら、もっと短い延命十句観音経がありますよ。
素直に神仏を崇めるなら、大上段に構えない分、こちらの方が入りやすいし、徹底的に行ずれば、十二分に信仰の入口の役割を果たしてくれるはずです。
因みに、五井先生は、ある質疑応答で、空と無と零の違いを、実に簡潔かつ平易に説かれていましたよ。
残念ながら、私は KS さんの頭脳と知識には、何光年も及びませんが、敢えて言うなら、宗教は祈りを伴う実践です。
頭の良い人は、理論弄りが大好きなのでしょうが、宗教は自分が神様の分霊(わけみたま)であることを感得していく、厳しい(厳し過ぎる?)修行だと思います。
なので、哲学や知識を楽しむよりも、まず実践で、できる限りの真善美に悖らない想念と行為を、たゆまぬ祈りと共に積んでいくんです。
天の蔵に宝を積むんです。
だから、祈りや読誦の本来の姿は、現世利益祈願利用や敵対者損壊利用ではないんですね。
現世利益は、神仏の道に沿った結果として与えられるものが本来で、減らないものなのです。
なぜなら、この世の中は、神仏(の体現されたもの)だけしかなく、それは神仏のものなのだから。
祈りを、こういった本来とは異なる我欲念力に利用すると、大変な代償を求められるのは、本来の現世利益ではないからです。
だから、神仏は罰を与えない、法則があるだけ、となる訳ですね。
延命十句観音経は、病気平癒の現世利益から入る場合がほとんどどでしょうが、ひたむきに行ずれば、いずれは、更に精進する機会が与えられると思いますよ。
とはいえ、こんな詰んでしまった時代に、今更信仰か、と思われるかもしれません。
古来から、神仏と言いながら、実は道に外れた真善美に悖る酷い事柄が散々ありましたから。
ですが、やはり真善美に悖らない神仏にすがらなければ、もはや、どうしようもないですよ。
既存の多くあるような、ゾロアスター的な善と悪の闘いの二元論の枠に捕らわれたままでは、地上天国は夢のまた夢、救いを得ることはかなり難しいと考えざるを得ないからです。
祈りの本質は、おわかりでしょうが、判断基準を簡単に言うと、真善美に悖らないことです。
幸いにも、私達はこれを自然に授かっていますからね(これさえ気づけば、正邪の判断は至極簡単)。
例えば、
み心の如く為さしめ賜え
などか、相当します。
これらは、一般のお経よりもはるかに短く、咄嗟(とっさ)にできますからね。
繰り返しますが、現世での天の蔵に宝積まずの我欲成就の念願、そして、ご都合主義の敵対憎悪対象殲滅の念願は、祈りではありません。
KS さんは、陰謀論はファンタジーだと言ってましたが、これを経ないととても真相には近づけませんね。
まあ、多少近づいて(概要把握がせいぜい。どうせ深淵には辿り着けない)諦観するならまだしも、変に斜めに構えて未だに左翼がだのと言ったり、スピ系でも、対抗できもしないのに闇の支配がどうのと不安や恐怖を抱かせて、悪想念を起こさせる・・・。
仕方ないと言えば、それまでですが、あの方達は悪想念やその派生行為が、自らに、そして社会に及ぼす悪影響と悪因果になぜ気づかないのか、不思議でならないんです。
魂の永続性を説き、カルマ法則を説きながら、自ら負のカルマを作り、人様を惑わせてしまったら・・・。
そんな裁いているんだったら、ちゃんと祈ってよ、と。
真善美に悖らない神仏は、人を責め裁かない。
いつも上機嫌でおおらかでしょう。
ましてや、怒ったり、罰を与えたりなどしない(罰が当たったように見えるのは、神仏の法則を外れた結果)。
真善美に悖らない神仏には、敵は存在しない(自らの神性を感得した人間=宇宙=神仏には敵はありません)。
敵はないんです。
愛深き神仏に、自らの命を与えた我が子に、選り好みなどありますか?
あるはずがない。
今は、このような神仏を信じていくしかないと思います。
とにかく、祈りを捧げる人(理想は妙好人のような人)が増えることを切に願うばかりです。
状況は厳しいですが、できるだけの努力はしておきたいですからね。
注意事項を一つ。
宗教は自らが神仏の分霊であることを感得するまでの、祈りを伴った厳しい修行だと書きました。
そこでは、日々、瞬々刻々の想念と行為が全てです。
だから、前世(前々世?や前々々世の魂の一部?)が偉人だっただの、そのお告げ云々なんかどうでもいい。
どうでもいいんです。
前世自慢なんかに価値はない(ごめんなさい)。
今この時、自らの想念と行為を磨き、霊性の向上に努める時に、他人の自慢話(ある種の能力や血統自慢みたいなものですね。被崇拝欲?や権勢欲?とでも呼べるような、極めて世俗的な欲の絡み易いところの)なんて、霊性の開発に何の関係もない。
そうでしょう?
考えれば、わかりますよね。
大体、神様を求めるのに、名誉欲だの、権勢欲が絡んだら、ロクなことにならないと思いませんか?
そりゃあ、過去世に有名人だったなら、多少は自尊心をくすぐるかもしれないけれど、そんなことで尊大になったり、人様を傷つけたりしたら、霊性はダーッと真っ逆さまに落ち、それまでの幾世かの過去世の積み重ねも水の泡になりかねない。
少なくとも、本当に霊性の高い人がやることじゃありませんよ。
なぜなら、霊性が高まることは、現世では人格が高まることだからです。
本物の人格者が、他人の羨望な眼差しを浴びようとか、権威ぶろうとか、自らの霊性を敢えて下げるアホな真似をするはずがありませんからね。
これも、自然なことです。
まあ、仮にそうなら(そもそも、本物の神様はわざわざ名乗ったりはしないそうですよ。おわかりですよね?)、真善美に悖る行為をすれば、それでアウト。
この火宅の世では、霊的指導者たるには、沢山の人を救うために、どうしてもかなりの奉仕が欠かせない。
いわゆる、菩薩にならなければならない訳です。
それを、権威付け、箔付けばかりにご執心で、有言不実行、言行不一致、豪華金満生活、酒池肉林・・・。
肉体人間観を脱しないと、大いに食指を動かされますが、真善美に立ち返ると、勘弁してよ、の世界です。
厳しい言い方をすれば、仏教の四弘誓願の衆生無辺誓願度にある教導者が、どうして現世の欲にまみれようか、というところです(まあ、金持ちなら金持ちでもいい。霊格を上げて行って、気がついたら、自然にそうなっていた、あるいは、転輪聖王ならいいんです)。
万が一、常人にはない能力があっても、人様の心を掻き乱したりして、真善美に悖る行為を為せば、却って有害になりますからね。
スピ系の話でも、自らの霊性向上に参考になり、励みになるものとは違うものがあるんです。
本当に残念なんですけど。
宇宙人も含め不思議系は単なる興味本意なら仕方ないですが、道を外しかねない、負のカルマ満載の裁き系?にもなりかねないものがあり、要注意なんですよ。
少なくとも、祈りをするには、こういったものとは、かなり冷静に距離を置く必要があります(極論ずれば、一切無視で構わないと思います)。
逆に言うと、現在の地位や身分、そして霊性が低く、厳しい環境にあっても、心がけ次第で誰でも精進できるチャンスはそれなりにあるんですね。
とにかく、霊性の開発に無関係な想念を乱しかねない真善美に悖る俗事は、神仏にすがりながら祈り倒して(霊的に迷わないためにも、守護の神霊への感謝行があれば更に良い)、徹底的な排除に努めることです(まあ、有り体に言ってしまえば、想念を乱すなかれ、裁くなかれ、怒るなかれ、批判するなかれ、それらがどうしてもできない場合には、その感情を持ったままでもいいから、祈りと共に真善美に悖らぬ神仏に一生懸命すがりつけ、とでもなりましょうか)。
真善美で冷静に判断すればわかることですが、スピ系にのめり込むと陥りやすい落とし穴なので念のため。
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①追記: 2024/03/10 16:01
②追記: 2024/03/10 16:05
③追記: 2024/03/10 16:08
④追記: 2024/04/19 12:22
⑤追記: 2024/04/19 12:25
⑥追記: 2024/04/19 18:13
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。