おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

060_報恩

世間のことや男女のことで、グダグダと書きましたが、空(むな)しいんですね。

どんなに、批判しても、説教?しても、効果はありません。

ないのです。

たとえ、俺のようなチンピラではなく、それなりの力のある人がしても、です。

まず、十中八九、ね。

まあ、おそらく、99 % 近くは。

なぜか?

これは、この拙い俺の文章に出会ってしまった人の課題とさせて頂きましょう。

万が一、ここまで読んで頂いた方なら、ある程度、察しがつくと思いますのでね(答えは、大分前に書きました。目立ちにくくわかりにくいかもしれませんが)。

悲しいかな、真善美に悖ることをやりまくる人は、やりまくるんです。

やって、やって、やりまくる。

お人によっては、自制心などどこ吹く風。

そんなのカケラもない。

もう、ホントに泣きたくなるほどに。

だから、俺は思うんです。

輪廻転生は、絶対に必要だと。

絶対に、です。

そうでないと、ヤり逃げ万歳!ヤり逃げサイコー!になってしまう。

現世で逃げ切れた、と思ったら、そうは問屋が卸さないぞ、とならなければね。

これは、まあ、神様を善なる存在と信じる前提で、なんですけどね。

残念ながら、現世での因果応報、今で言えば、ブーメランはあまりない。

たまに、あるように見えても、実は過去世の因縁の発現が大半で、割りきれないことだらけです。

恵まれた人や、強者のやりたい放題、そして、善ではないものが栄えるのを見せつけられるのも、本当に辛い。

しかし、実効性のあることは、何もできないんです。

ほとんど。

祈ること以外は。

どうしても、今すぐ強引に世直しをするなら、元祖魔人ブウ(界王神たちを吸収していない、あの元々の小柄な魔人ブウです)のような者にしかできませんよ。

孤独で、一切のしがらみや、余分な感情をもたず、科学兵器も通じないほどの、絶対的な力を持っているような者にしか。

彼のような者が、悪の心を無くした上で、現世のみの閻魔帳片手に、徹底的に暴れまくれば、可能性があります。

そうすれば、鬼に金棒。

どんなに、理屈をこねようが、建前で飾ろうが、美談で覆い尽くそうが、何をしてもまったく通用しませんからね。

カネがあろうが、コネがあろうが、そんなの関係ない。

切通用などしません。

裁定の基準は、生まれてから今までの、現世(今生(こんじょうとも言う) )でなされた、想いと行いのみ。(*)

これで徹底的な清算をしてもらう。

下手をすると、場合によっては、社会全体が機能しないほどになるかもしれません。

悲しいことに、それも致し方ないほどの世の中になってしまっているのです。

しかし、彼は架空の人物(生物?)だし、現世の閻魔帳があるとすれば、持てるのは神様だけ。

従って、こんなことは、あり得ません。

不可能です。

もしくは、私達個人個人が、仏陀とはいかないまでも、霊性が開発され尽くし、かなりの聖者になることです。

それも、なるべく早く、できれば、今すぐに、です。

そうすれば、陰謀も画策も、企てた者、そして、為(な)した者に、すべて返っていくからです。

聖者に悪弟子が毒を盛り、これを聖者が飲み干したら、光の聖者には毒はまったく通じず、毒はそっくりそのまま悪弟子に返っていって苦しみ出したように。

ただ、おわかりかと思いますが、現段階では、これもまったく可能性がありません。

残念ながら、私達(の大半)は、聖者には程遠い。

何世かかってもたどり着けないほどに。

私達(の大半)は、肉体にまつわる五欲に執着し、唯物論にとらわれてしまっているからです。

モノ、カネ、オンナ(オトコ)、etc と振り回されているうちは、道は遥か彼方と言わざるを得ない。

陰謀論をある程度探っていくと、本当に絶望的な気持ちにさせられる。

世の中は、建前だらけで、本当のことは、ほとんど知らされることはない、とわかってくるからです。

こんなとてつもない不公平ばかりが罷り通って、阿鼻叫喚の地獄の歴史が繰り返されて来たら・・・。

こんなことで、本当に輪廻転生は、機能しているのか?、こんなことで、一体、因縁因果の転回法則(因果律)は機能しているのか?、とさえ疑いたくなる。

実は、これらの法則にさえおかしな例外が存在し、とんでもない差別があるのではないか?、と思えるくらいに。

そして、わが世の春を謳歌し、好き勝手し放題の人の過去世からの閻魔帳をみせて、納得させて頂きたい、と思うほどに。

あまりにも、真善美に悖りまくるものが栄え過ぎると、この世は、単なる牢獄か刑場にしか過ぎないとさえ思えてしまう。

なかなか、心中穏やかではいられないのですよ。

なので、騙されるのも、それもまた良し、とは簡単には思えない。

消えてゆく姿だとしても、あまりにもひどすぎて、心の平静が保てないんです。

妙好人の人達のようにはね。

・・・。

まあ、ここが踏ん張りどころならいいんですけどね。

どのみち、私達には、神様にすがるしか、道は残されていないのだから。

もし、徐々に世直しがされ、地上天国が成るものならば、現象的に、どのような形で差配されていくかは、神様がお決めになり、適任の人を遣わされるのみ。

お任せしたら、そのように信じるしかないんですよ。

私は、宇宙のことは、幼少時は大好きでしたが、今ではまったく興味が失せてしまった。

進化した星の人々が本当にうらやましい。

ここは、進化途上の星、地球さん。

地球さんは、私達にたくさんの得難いものを与えて下さった。

ほとんど人知で作り出せないものばかり。

しかも、何一つ対価は要求してきません。

自然の恵みも、すべて与えて下さるだけです。

にもかかわらず、私達は、自身の身勝手な業想念のせいで、地球さんを無茶苦茶に汚染、なかんずく、破壊しまくった。

肉体人間同士の争いだけでは済まないほどの罰当たりな行状で。

だから、地球さんのためにも、わずかながらのご恩報じのためにも、罪滅ぼしのためにも、世界平和の祈りをしてほしい。

私は、そう思っているんです。

~~~~~

(*)本来なら、その人その人の、過去世から現世までのすべての想念と行為を裁定すべきです。

しかし、これをやったらキリがない。

その内包する魂の分割や結合までをも考慮に入れると、判断も複雑多岐にわたり、一筋縄ではいかない。(*1)

なので、どうしても今すぐにとなれば、現世のみに限ることも、やむを得ないだろう、と。

これで、とりあえずは、負の連鎖を止めることだけはできるだろうし、地球さんを傷つけることも、止められるはずですから。

~~~~~

(*1)まあ、そのための人類の輪廻転生の総決算、すなわち、現在の消えてゆく姿ということなんだろうけど・・・。

前記のように、あまりにもひどくて、納得し難いんだなあ、これが・・・。

これでも、軟着陸に向かっているんだぞ、と神様がおっしゃったなら、返す言葉はなくなってしまうけど・・・。

実は、この状況でさえ、守護の神霊様方の運命修正のご加護がどれだけあるか、計り知れないとされてしまうと・・・。

でもなあ・・・。

好き勝手し放題の人なんかは、過去世の因縁を通り越して、増長しすぎているように感じる。

誰も何も諫めない、何の天の裁きもないてなれば、霊性が高い人でないと、抑制が利かないし、自然に為さない、とはならないからね。

まあ、それでも捨て鉢になり、あきらめてしまったら、基本的に刹那に生きることしかなくなってしまうので、祈るしかないんですよ。

中には、祈りをバカにして、皮肉に、そして、ニヒルに構える人もいますが、これは絶対にやめた方がいいですよ。

前にも書きましたが、傲慢、侮蔑、嘲笑などの、想念と行為は、来世以降に、想像もつかないほどの大変なものとなって、返ってくるのですから。(*2)

あと一つは・・・。

祈りは、神様と一体化する、自らが神様の分霊として生きている、神様の生命を宣(の)りだすことです。

従って、神聖な意味合いを持つことになりますね。(*3)

これを蔑み、バカにする行為は、いかなるものとなるのか?

言うまでもありませんよね。

まあ、この助言をきかれるか否かも、因縁でしょうが、きかれることを望みます。

それと・・・。

まあ、これは難しいことなんですが・・・。

いちいち、社会現象や事件に、もう、一喜一憂して、裁いたり、意見をしない。

何の意図があり、いかなる陰謀が背後にあるかなんて、もう、どうでもいい、とこの際、割り切る。

当事者でないと、ことの真相がわからない可能性か高いのだから、いちいち、詮索して、ああだこうだ、言わない。(*4)

もう、引きずり回され、想念を乱すことは、この際、卒業すること。

かなりの人のカルマ引き受けによる、追及と努力で、大枠は見えてきたのだから、もう、負の連鎖は卒業すべきですよ。

もし、裁きがあるのであれば、すべて神様を信じてお任せする。

個人個人では、ほとんどどうすることもできないのだから、せめて、想念を乱さず、祈りに徹する。

想念を乱すことは、自身の後々の運命にもかかわるし、ひいては総和として社会に影響を及ぼすのだから、乱さないに限る。

残念ながら、いくらがなっても、どうにもならないことは、どうにもならないし、自身と社会にいい影響を及ぼさない以上は、やらないに越したことはないのだよ。

不安や恐怖や心配もあるかもしれないが、とにかく、祈ることで神様にすがって、想念を乱さないようにする。

今のところ、これしかできないと思うよ。

あと一つ・・・。

悪い予言は一切相手にしないこと。

別に不確かな霊感による予言なんか掘り起こさなくても、在野の優秀な人は、唯物論ながらも、ちゃんと事前に読み切っていましたよ。

唯物論なら、ある程度の確度があるが、予言はそうじゃない。

かなり適当なだけでなく、外れても、人々に不安や恐怖を抱かせ、その想念を乱したにもかかわらず、何ら真摯な詫びもない。(*5)

そんな、不確かで、変わりやすく、転びやすい予言なんか、百害あって一利なしです。

当たろうが、外そうが、同じこと。

人様を、不安に陥れ、かといって、何の霊性向上の役にも立たず、想念を乱すものでしかない類いは、相手にしないに限る。

とにかく、神様一筋に、祈って頂きたいのです。

~~~~~

(*2)だから、思うんです。

人々の想念をかき乱し、その運命に
影を落とすのは、とてつもなく、罪深い、と。

(*3)とは言うものの、俺は神なのだ、と威張るのは論外ですよ。

本当に偉いのは、霊性が開発され尽くした人。

そもそも、こうした人は、威張るなんて愚かしい真似は、絶対にしません。

おわかりになるはずです。

(*4)いちいち、振り回されて、読みや分析が外れたり当たったり、一喜一憂したりしていれば、どうしたって余分な業想念を積んでしまいますよ。

だから、やらない方が、いいんです。

(*5)どうしても悪いものが見えたら、本来は、言ってはいけないんです。

黙して、陰ながら運命の好転に全力をあげるように尽力するのが、霊能を授かった者のあるべき姿です。

特別な能力を授かって、この世に生を受けたこと自体、世のため人のために、善きに用いる使命を与えられた、と捉えるべきだからです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

追記: 2024/04/06 03:02
〜訂正内容〜

本文を加筆・訂正しました。