おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

066_般若心経続

さて、突然ですが、般若心経です。

( 027_色即是空と空即是色 - おぶなより ) から間を開けてほったらかしにしてしまったので、あの続きを考えていきたいと思います。

これに関しては、解説書が山のようにあり、どれを参考にしたらいいのか、とても迷います。

そして、その元とされる般若経をどうするかも含め、かなり逡巡しました。

そこで、まずは、般若心経の元とされる般若経を、きわめて大雑把ながら、見ていきたいと思います。

巷では、般若経の精髄(*1)をまとめたものが、般若心経であるかのように言われている以上、通り一辺でも、不完全でも、見ておきたいからです。

通り一辺でも、不完全でも、内容をまったく見ないのは、やはり、不自然だし、納得できないからです。

通常なら、そう言われているから、それでいいじゃないか、わざわざ、掘り返さなくてもいい、とされると思います。

いわば、今までの先達(*2)の方々に信頼を置いて、信じれば大丈夫ということですからね。

私も、信仰の話で、改竄の可能性もあり、矛盾や疑問点を多々含み、抽象的で難解な部分のある経典類は、体系化はおそらく無理(そもそも、意義がどれだけあるかも不明)なので、深入りしないように、と書きましたからね。

なぜなら、そこに血道をあげていたら、悟りを開く前に、寿命が来てしまうように考えられるからです。

研究する人も、何世もの先の悟りに備えて、これまた何世もかけて、俺は研究するんだ、という奇特な人はいないでしょう。

悟りも、研究も、皆さん現世(=今回の人生)で、何とかしよう、何とかなると思うからこそ、やるものですからね。

そんな中、今回、あえて般若経に踏み込もうとするのは、やはり、一般的な般若心経の解釈がアレだと思わざるを得ないからです。

前にも言いましたけど、本当に本を読んで( CD を聞いて)いても、何を言っているのかわからない。本を書いて( CD で話して)いるご本人が、本当に理解しているのかどうか、疑問に思わざるを得ないんです。

色即是空、空即是色のところは、とくにひどい。

そこで、疑問が出てくるんです。

実は、般若経の概要を中身を確実に理解して、その精髄が般若心経と言っている人が、一体、どれだけいるのか、と。

まさか、安易な受け売りで言っているとは思いませんが、般若心経の解釈があのような状態では、元の全体像たる般若経を、一体、どのように読み取ったのか、と疑問に思わざるを得ないんです。

なので、そこだけでも、何とかそれなりに確認しておく必要があるのではないか、と考えた訳です。

ひょっとすると、般若心経の解読自体、実はできていないのに、人気を博し広まってしまった経緯もありそうなので、わからない可能性も大だけれど、ひとまずは見ておこうと考えました。

私は、いくつか見ました。お坊さん、学者さんは、解説できたようにしていながら、わずかにチラリと理解できていないであろう本音が覗く部分を(俺も般若経について最下部で書いた)。

いわく、空や無には、未だに歯が立たない、あるいは、それらすべては空であると言われても、訳がわからない、と。

本当に自らのものとして、考え、たとえ、言葉を駆使して、十二分に理解した上で、解説を施せるならば、こうした言い回しにはならないのではないでしょうか?

この方達は、まだ、正直なのだと思います。

今回、こんなところに、比較にもならない、能力のはるかに劣るド素人が、割り込むのですから、暴挙そのものです。

なので、私には、検証・精査・研究などはできませんし、その能力もありません。また、しませんが、とにかく、見ていきたいと思います。

膨大な経典で、正直泣きたくなりますが、仕方ありません。

前回の、( 027_色即是空と空即是色 - おぶなより ) から、ずいぶんと間を開けて、ほったらかしにしていたことの、罪滅ぼしも兼ねて・・・。

ということで、般若経を見ていきたいと思います。

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(*1)精髄~せいずい~物事のいちばん優れた大切なところ。神髄。

ちょっと砕けますけど・・・。

そもそも、般若心経の元とされる、大般若経(だいはんにゃきょう)なるものがあり、これは 600 巻、600 万文字もあると言う。

この、精髄、つまり、本質をまとめ、抽出したものが、わずか般若心経の 266 文字に、集約、凝縮されて、大乗仏教の要諦と真価が詰まっていると言う。

しかし・・・。

単純に形式(文字数)を見ただけでも、

266 ÷ 6,000,000

= 0.00004433333・・・%、

約 22,556 分の 1 の分量比率ですよ。

不自然だと思いませんか?

変だと思いませんか?

こんな無茶苦茶なことが、そもそもあるのか、検証なんかできやしないんじゃないのか、と。

検証しているうちに、寿命が来てしまうか、何回生まれ変わって、研究に携わっても、検証なんかできない、無理なんじゃないの、これ?

網羅的に見ることすらできないので、断言はできませんが、普通に捉えたら、どう考えてもおかしい。

変です。

あり得るとすれば、それこそ神業です。(*1ー1)

それでいながら、般若心経は、大乗仏教の精髄を含んでいると言っても過言ではないなんて、簡単に言い切っちゃって、ホントにいいの?

未検証の受け売りでしょ、コレ。

ああ、軽はずみで、無責・・・。

しかも、色即是空、空即是色のあの解説・・・。

うーん・・・と、考えてしまいますよ。

モロ、マズくない、コレ?

なので、しょーもない、見とくか、と。

もし、俺のような鈍才が、万分の一、いや、億分の一でも、何か手がかりになるようなものが掴めれば、人様に参考になる内容を、極微ながらも、提示できる可能性を過信して・・・。

まあ、可能性ゼロだろうなあ、実際。

それでも・・・。

メッチャ惨敗必至でも、とりあえず、やってみっか。

まるで、ノミが象に挑むような話になっちまったけど、しょうがねえや。

己の惨めな醜態を晒し、笑い者になることができれば、批判的なことを書いた諸先輩への、ささやかなお詫びになるかもしれないと勝手に思いながら・・・。

という訳で、しぶしぶ、思い腰をあげざるを得なくなりました。(泣) (← いずれ都合がついたら、下段に簡潔に書き足す予定ですが、とある本と出会ったので、この作業はやらないことにしました( 2024 年 4 月追記)。ご了承下さい)。

うっかり、般若心経にかかわり、五井先生の教えを知ったばかりに、とんでもないことになってしまった。

まさか、こんな超分不相応な難題が降りかかってくるなんて、夢にも思わなかった。

放っときゃいいんだろうけど、俺がここで無駄な足掻(あが)きをすることで、気づいた誰かが道を引き継いでくれることを期待して・・・。

まあ、(今回の俺の身勝手な暴挙を除いた)これまでの不可解な経緯のすべては、神業の思し召し、ご計画なのかもしれませんが、わかりやすく、系統立てて、この経緯をとる理由を、ご説明して下さらないかなあ、と思ってしまいます。

それに、拡大して元に戻すと、そんなに膨大に膨らませるのは、馴染むのに現実味をなくすし、そもそも、そんな大部のものをわざわざ温存させておく意味合いがわかりません。

普通は、催眠術にかけられたように、あー、そうか、そうなのね、と素通りするかもしれませんが、これ、問題にならないんですか?

俺、前から引っ掛かってたんスよ。

経典の伝播と翻訳に全身全霊を捧げて、生涯を生き切った、玄奘三蔵さんとその旅路の協力者(旅路の途中で亡くなられた方が何人もいる)、一体となって、翻訳作業に当たられた何人もの協力者の方々には、怒られてしまうかもしれないな・・・。

玄奘三蔵さんが、現代に甦り、直接お教え下さるのが、一番説得力があるはずだから、そうなればいいんだけど。

日本語も話せる、万能僧侶として、ご講義して頂けたらなあ、と。

ただし、その場合は、それこそ、簡にして要を尽くし、短く、平易で、明快にお願いしますよ。

訳のわからない禅問答のような膨大な詩文を束にして、何年も講義されたんじゃたまらない。

現代は、時間の流れも早いし、みんな追い詰められている。悠長に時間を取って、漠然(ばくぜん)として難解な概念論をかまされたら、誰もついてこないだろう。

ほとんどの人が、肉体人間観を脱することができず、唯物論に侵食されているのだから、難しいと我慢しきれなくなって、みんな、身近で手近な欲に走ってしまいますよ。

時間がないんだから、素直に理解できなければ、わからなければ、日々の生き方を糺(ただ)し、生活態度の改善に反映できなければ、意味がない。

ぐずぐずしているヒマはないんです、もう。

時代的に、もう理屈を振り回している猶予などない、と思うからです。

歴史上の立派な偉人に対して、無茶苦茶、不遜な物言いであることはわかっています。

玄奘三蔵さんは、インドで学び経典を翻訳したのだから、元の責任はインドの経典作者にあるはずですからね。

しかし、そんなことに遡(さかのぼ)って、研究したり、学んだりする余裕なんか、もう、微塵もないんです。

これが、今の率直な気持ちです。

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(*1ー1)分子生物学者の村上和雄さんによると、人間の遺伝子情報は、30 億という万巻の書物に匹敵する以上もあり、それが、何と、1 グラムの 2,000 億分の 1 の極少の部分に書かれているらしい。

両親から、30 億ペア、対になる遺伝子情報、つまり、大百科辞典にして、1,000 冊分程度の量をもらうとのこと。

これは、どう考えても神業だ、神様のお働きを見て感動がこみあげてきた、といったことを書かれていましたから、もしかしたら、あり得るかもしれません。

ただ、この先生は、読み取り内容以外をつぶさに検証できなくても、現代の科学水準で可能な限り、外から正確に捉えている訳です。

こうした事例ならば、言い切っても、誰も依存はないと思います。

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(*2)先達~せんだつ~その方面、あるいは分野での先輩。または、業績をあげ、後に続く者を導く人。

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①追記: 2024/04/06 07:57
②追記: 2024/04/06 08:08
③追記: 2024/04/06 08:11
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。