前回 ( 093_苦手 - おぶなより ) 、イケメンという言葉を出したので、ついでに、美男美女について考えてみます。
まず、人はなぜ美しいものに魅せられるのか、惹(ひ)かれるのか、がまず考察の最初に上がると思います。
美しい景色、美しい音色、美しく見目麗(みめうるわ)しい人、こういったものを、なぜ私達は好ましく感じるのか、惹き付けられるのか、ですね。
これは、やはり私達、肉体人間の本体が、真善美に悖(もと)らない完全円満なる神様の分霊(わけみたま)であるからだ、と考えられます。
肉体人間に関して言えば、もともとは神様の分霊、神体の映し身として、美しかったがゆえの回帰現象だ、と。
まあ、これは俺が勝手に組み上げた仮説なので、正しいかどうかはわかりません。
ですが、こう考える方が、納得がいきやすいんですよ。
元々は美しさをそなえていたのだから、肉体人間として真善美に悖る想念と行為をしたことによって落としてしまった容姿の美しさの低下分を、いわば本来持っていたもののうちの喪失分を、取り戻したくなるのは当然だ、元の美しい姿に戻りたいのは当然だ、と考える方が無理がないからです。
アメーバのような微生物から始まって、だんだんに進んで類人猿、そして、さらに進んできて、現在の人類といった輪廻転生の変遷(へんせん)を通して、現代の美男美女が作り上げられてきたと考えるよりも自然だ、ということです。
考えても見て下さい。
仮に、中途の類人猿をスタート地点にしたとしましょう。
ならば、輪廻転生を通した真善美に適(かな)った想念と行為の積み重ねによって、現代の美男美女が作り上げられてきたことになります。
しかし、こうした過程の結果で美しい容姿を獲得してきたととらえるよりも・・・。
良き形(真善美に適(かな)った想念と行為の積み重ね)の輪廻転生を通して、美しかった元の形に還(かえ)っていくと捉えた方が、自然ではないですか?
ベース(基本)はあくまでも肉体の人間であり、その中で容貌の変化をしていくと考えた方が。
肉体身としての類人猿に、神様の分霊としての私達が入り込み、数々の輪廻転生を通して磨きあげられて、徐々に形を変えていき、今のような肉体身としての人間の美男美女の美しい外見に進化を遂げてきた???
うーん。
どうしても、そうは考えにくいんですけどねえ。
納得しろと言われても、ちょっとねえ。
といった訳で・・・。
元が美しかったのだから、本来の姿から遠ざかってしまえば、元の姿に還りたい、本来の姿を取り戻したいと望むのは当たり前だし、神性をあらわす美しさを備えているからこそ、その姿が好ましいとごく自然に感じる、ととらえればわかりやすいんですよ。
しかも、こう考えたほうが、肉体人間が神様の映し身であるという言い回しにピタリとはまる。
整合性がとれる訳です。
神様は完全円満で、真善美に悖らないのですから、姿としては美しくあらわされるはずですね。
美に悖らない=美に反しない=美しい、となるはずですから。
その分霊(わけみたま)であれば、美しいのは必定(ひつじょう)。
従って、神様の分霊の映し身も、当然に美しいとなる。
だから、辻褄(つじつま)が合う、と。
従って、微生物から、あるいは動物から輪廻転生により段階的に進化変転して形を変えるようにして美しさを獲得してきたと捉えるよりも、ずっと理に適(かな)った説明になるはずですよ。(*)
俺はそう思うんですけどねえ・・・。
閑話休題。
まあ、人にもよるかもしれませんが、美男美女は見ているだけでもなんとなく心地いいことが多いですもんね。
まれには険(けん)のある雰囲気を漂わせていたり、崩れた感じの美男美女もいますけどね。
美しいけれど、オーラにかなりの問題を秘めていそうな・・・。
ヤンキーとか。
ただ、前にも何回も書いたけど、美男はこうだ、美女はこうだ、と一概に決めつけることはできないんですよ。
何か言えても、せいぜい傾向といったところまで。
美男美女の人達それぞれに、数多(あまた)の過去世が連綿(れんめん)としてあり、それが性格や才能に反映される形も、千差万別だからです。
だから、言えるのはあくまでも傾向止まり。
正確を期そうとすると。
ところで。
かなりの魅力を備えた美女には、男性が蜜に群がる蟻のように寄ってくる。
俺は、何回かこれを目(ま)の当たりにしたことがあります。
学生時代のコンパでのこと。
そのコンパでは、たまたま初恋の人が俺の隣に座ってきてくれた。
すぐとなりで話ができるまたとない大チャンスを彼女が与えてくれた。
何という幸運。
しかし、俺は彼女が大好きだったにもかかわらず、無意識に異様で不自然でギクシャクした態度をとってしまい、ろくに話すことさえできずに終わってしまった。
今でいう、いわゆる、強度の好き避けで、思い返すとなんてバカなことをしたんだと、後になって本当に悲しく、情けない思いをした。
本当に自分ではどうすることもできない、おかしな反応をしてしまうものなんですね。
感情とは正反対の反応をしてしまうという・・・。
それはともかく。
何杯かみんなが飲んで少し酔いがまわってきてからかな。
彼女の目の前(俺にとっても斜め前で、ほぼ目の前)に、ポツンポツンと級友の男子が集まりだした。
確か、最終的には 5、6 人になったかな。
結構、壮観だったのかもしれない。
彼女の向かいに、放射状に円をつくって男が集まってきたのだから。
みんな各々、何とか、かんとかと、彼女に話しかけてくる。
酔いがまわって箍(たが。まあ、ここでは自制心の意)が外れて、蛮勇?が奮(ふる)えるようになったのかな。
みんな、話の形式はとっているけれど、内心は彼女を自分だけに振り向かせたくて懸命だったんだろうな。
トロい俺でも、目の前で見せつけられれば、さすがにわかりましたよ。
俺も彼女に好意を寄せる他ならぬ男の一人だったのだから。
彼女のすぐ横にいながら、彼女にアプローチ?をかけてくる男達を一緒に眺めているような奇妙なシチュエーションだった。
まるで、彼女がバイヤー担当で、俺が横にいる付き人のような。
集まってくる男に、あ、こいつも気があったんだ、こいつも、こいつも・・・とはじめて気のあることがわかったね。
彼女はキリリとしたタイプの美女ではなかったが、日本的で整った優しい顔(どちらかというと丸顔系統)をしていて、もち肌のような色白で、何となく高級な日本人形(しかも少し黒目がち)のような趣(おもむき)があった。
髪は漆黒(しっこく)の黒髪で、そこはかとなく上品な感じを醸(かも)し出していた。
胸の量感も豊かで、足も長くてスタイルは抜群だった。
日本人的な美しさを湛(たた)えながらも、体型は西欧的であるというギャップも、また、魅力だったのかもしれない。
声にも艶(つや)があり、やはり、魅力を感じましたね。
彼女に○○くーんと名前(姓)を呼ばれた時の感覚をいまだによく覚えていますから。
愚かそのものです。
いまだに、こんな記憶を残していて。
男ってロマンチストなんですね。
今となっては、俺のことなんか彼女は微塵も覚えていないに決まっているのに。
せめて、記憶の欠片(かけら)に残してもらえるように、一回だけでもいいから、少しは話をしておきたかったなあ。
後悔先に立たず。
まあ、俺が男としては変わっていたのかもしれないが、好き避けをして悔やむ女性の気持ちもわかるんですよ。
ああ、あの当時の俺と同じような思いをしているんだろうな、と。
で、彼女は、勉強もスポーツもできて、万能だったな。
まあ、モテて当然なんだろうけど、ハデに振る舞うタイプではなく(それでも否応なしに目立ちましたけどね。明言はしていなくても、男子はみんな彼女の存在が気になっていたんじゃないかな)、女性にしては珍しく、群れずに一人でいることの方が多い静かめの人だった。
目の前で改めて確認する経験をした次第。
また、これはある施設の職員さん。
この人は、スレンダー(スラッとした)タイプの美人だった。
家族の面会で、食事介助をしていてくれていた時のこと。
施設の男性職員さんが、いろいろ家族の話を交(まじ)えて集まりだした。
はじめは、さして何とも感じなかったが、話がなかなかに終わらない。
そして、一人、また一人と男性職員さんが増えていく。
あれ?
またかな、これ?
わかりましたもん。
話を引きのばそうとしているのが。
・・・といった具合で、個別に告白をすることはできなくても、やはり、美人(彼女)の近くにいて話をしていたいんだろうな、近くにいたいんだろうな、と端(はた)から見て理解できた訳です。
こうしたものを何回も見る機会に恵まれ?、他にもいろいろな経験を積んでいくと、男女の恋愛感情の交錯(こうさく)もわかるようになります。
なんか恋愛電波を飛ばし合う空中戦みたいですけどね。
また、こうした経験でわかったことは、女性は言葉でハッキリとは言わずに行動で表す、ということでした。
言葉で角(かど)が立つことを言ってしまい、万が一にも男性の怒りや恨みを買ってしまうと、のちのち、自分に危害が及ぶおそれがあるので、言葉を巧みに選ぶか、それなりの行動に表す。
こうして、確実に身の安全を図(はか)ります。
単純な男性の言動より、はるかに高度で、婉曲(えんきょく)的な形をとりますね。
これは、こうした女性の皆さんに、しっかりと共通して備わっていました。
おそらく、これは概(おおむ)ね女性全般に当てはまるものではないかと思われます。
それにしても。
魅力的な女性の吸引力は、本当に大したものでしたね。
直(じか)に見聞するとよくわかります。
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(*)進化論は、どうもあまりピンとこないんですよ。
そりゃあ、環境に即して適合していくために、多少の変化はあるでしょう。
しかし、抜本的なのはどうも・・・。
むしろ、いっそのこと神様が遺伝子操作をして、あまたのものをそれぞれに作り分けられた、とした方がよほど納得しやすい、と思うんですけどね。
あと一つあまり好ましいと思えないのは、進化論は弱肉強食を好む思想にきわめて親和性が高い、都合がいい考え方である、ということ。
自分が能力のない人間のせいもあるかもしれないが、おのれの都合のためには、どんなに弱者を踏み潰してもかまわないと言わんばかりの思想には、嫌悪感を覚えてしまうんですよ。
強者は強者、弱者は弱者。
同じ神様の分霊を頂く者として、それぞれの因縁を果たし、その天命をまっとうするために、この世に生を受けているはずです。
双方とも世界平和の祈り一念の生活を基底として、各種の格差や不幸災難があるのなら、それはやむを得ない消えてゆく姿とすることができるのかもしれない。
しかし、祈りも霊性も何も知らず、ただ、現世の肉体身の満足と自分とその周囲だけを特別視して、その利益の最大化ばかりを図り、あとの人間はどうしようとかまわない、のようなやり方は、どう考えても神様のみ心に適(かな)うとは思えない。
といった次第で、理論そのものにも疑問があるし、霊性からもかけ離れた内容なので、どうしても好きになれないんですよ、進化論は。
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①追記: 2024/04/07 00:30
②追記: 2024/04/07 01:05
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。