おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

102_認識

できること・・・。

呼吸、歩行、いろいろある。

まさに、当たり前。

俺もありがたいことに何とか人並みに生きている。

ごく特定の状況を除いて。

そんな時、人様の言ったり、書いたりしているものを見聞きしていると、与えられていることが、すべて当たり前で、必須要件を通り越して、もはや、無意識の段階だな、と思える内容に出くわすことが、はなはだ多い。

そんな前提が欠ける、損なわれることなど夢想だにせず、偉そうで、わかったようなハウツーや講釈を垂れている(ごめんなさいね)のを見聞すると、なんとも言えない気持ちになる。

ああ、恵まれ過ぎていて(実際、これが標準で圧倒的大多数だから仕方ないのだが)、何にもわかってねえなあ、と。

まあ、こうした人達は、それなりの過去世の因縁が良く(=過去世における肉体人間としての想いと行いの蓄積が良かった)、標準と思われる環境や条件が当たり前に備わっているのだから、納得しなければならないし、本来、俺なんかの他人が勝手にケチをつけたりしてはいけないのは、重々わかっているのだが。

俺がひっかかるのは、そうしたハウツーや講釈が、真善美に悖る業想念をおこすものが、多々あるところなのよ。

つまり、目的のためには手段を選ばない、自分の利害得失だけを考え、その中でのずる賢く(ごめんなさいね)安全を確保しつつ、可能な限り利益を最大化させることばかりにこだわるものが多い、と。

そうした小賢しい(ごめんなさいね)立ち回りをするくらいなら、世界平和の祈り一念の生活に変えてくれないかなあ、と。

偉人の箴言でも、いくらわたる世間に鬼が多い?からといっても、こうした立ち回りを重視したものはちょっと・・・。

警句なら致し方ないのかもしれませんが。

とにかく。

世界平和の祈りの同士の皆様には、より一層の精進努力をお願い致します。

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追記: 2024/04/07 07:50
〜訂正内容〜

本文を加筆・訂正しました。