おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

167_諦観2

この頃は、いつも、仏教のお堅い話ばかりになっているので、たまには違うことを書かせて頂きます。

・諦観~ていかん~①はっきりと本質を見極めること。
②俗世の欲望をあきらめて、超然とした態度でいること。
(用例)人生を諦観する。

・超然~ちょうぜん~物事にこだわらないで、ゆうゆうとしているさま。世俗にとらわれないさま。

で、諦観です。

私は数年前からテレビをほとんど見ず、マスコミ情報を見るとすればほぼネットだけになりました。

娯楽も、ユーチューブなどで、間に合ってしまいますし。

そのユーチューブなんですが、ユーチューブプレミアムにしないと、コマーシャルが必ず入ります。

このコマーシャルの印象が、テレビで感じた時とまったく変わりません。

申し訳ありませんが、正直、うるさい。

かましい。

個人的な偏見ですが、不快指数がかなり上がる。

スキップで、飛ばせないのもあるし、飛ばすにしても、タップしなければならない。

大した手間ではなくても、やっぱりめんどくさい。

私は、たまたま、ある占星術関係の男性の方のチャンネルをよく見ます。

この方は、話し方も穏やかで、声もソフトできわめて視聴しやすく、楽です。

無論、内容が興味深いこともありますが、見ていてまったく疲れないし、睡眠導入にもなるかもしれない、と思えるくらいに快適です。

テレビでも、ビデオでも、ユーチューブでも、人によっては、せっかく内容がいいにもかかわらず、話し方や身振り素振りがあわただしかったり、高圧的だったり、妙な癖のある人がいて、視聴しているのがつらい、我慢できなくなってしまうものがあるのです。

本当に申し訳ないことなんですが。

そこへいくと、先の占星術の男性は、私にとっては、清涼剤のような存在です。

その方のユーチューブを視聴している時に、強制割り込みの形で、やかましい、けたたましいコマーシャルが入ると、わかってはいても、やっぱり、「イラッ」、「ムカッ」としてしまいます。

スポンサーありきだから、仕方ないことなのでしょうし、短い時間で人の耳目を集め、惹き付けなければならないから、致し方ないことなのでしょう。

が、私は人間ができていないので、つい、「イラッ」が出てしまいます。

諦めるべきですけどね。

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①追記: 2024/04/13 10:21
②追記: 2024/04/13 10:23
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、表題と本文を加筆・訂正しました。