おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

185_表面

すみません。本来なら、前回の続きで、Ⅱ 人生の指針 から始めなければならないのですが、ちょうど区切りもいいので、また、息抜きをさせて頂きます。

息抜きは、一週間に 1、2 回程度にしようと思っていたので、以前の ( 177_願い - おぶなより ) からは、まだ少し早いのですが、勝手ながらそうさせてもらいます。

以下は、仏教とはまったく関係のない話です。

仏教の関係でお読み下さっている方は、その点、あらかじめご了承願います。

その (177_願い - おぶなより ) では、奥歯にもののはさまった言い方と言うか、にごした書き方にしておいたところがあるので、この際なので、これを言い切ってしまいたいと思います。

note の美人の生きる道のカンナさんという人が書いた内容には、ある程度の説得力があった、としました。

また、彼女の容貌も美人そうだとしました。

まあ、これまでに言及した人達、高級ホステスこじきちゃん(彼女はペンネームも変わり、本も何冊か出して、すっかり有名人になったようです)、E子さん、ぐりこさんといった方々も、このカンナさんという人も、私の文章を読むことはおそらくあり得ないでしょう。

それでも、万が一ということもあるし、せっかくはてなさんにも縁あって、機会を与えて頂いて、ブログを書いているので、言及しておきます。

カンナさんについてです。

ある程度の説得力と言ったのは、完全ではないよ、ということです。

彼女は、自らのこと、そして、実の兄弟の実体験にもとづく内容を書いていると思われます。だから、一般的なサイトにありがちな、希望的観測や夢見がちな内容とは、明らかに一線を画し、内容が腑に落ちるなと感じたからです。

ただ、やはり、彼女も唯物論の思考にとらわれて、これを脱していない。上記に挙げた女性達と同様に、目に見えるもの、耳に聞こえるもの、といった肉体にまつわる五感にとらわれ、価値を置く考え方から離れていない。

霊性の開発には、まったく程遠い状態に見える。

なので、当然に、輪廻転生を通した因縁因果は視野に入っていない。だから、因縁因果が多種多様であり、もっといえば、億差兆別以上に、無限といっていいほどに分かれているとは、考えていない。

私達は、肉体人間ではあるが、これは器であり、そこに入っている本体は、神様の光のわかれた一筋一筋の霊光、神様の分霊(わけみたま)が本体である。つまり、神様の分けられるさたお命そのもの、霊なる人間こそが、本来の人間なのだ。

数限りない輪廻転生のために、人間=肉体である、肉体こそが人間だ、と染み付いてしまって、思い込んでしまっているが、本来、人間とは霊なる人間のことをいうのだ。

この肉体人間、この世にあらわれている形は、あまた輪廻転生を通した、過去世の生き方が反映されてできあがったものであり、本体の神様の分霊からすれば、過去世から持ち越した宿題・課題を果たすべく作り上げられた、この世で時を経て消えてゆく姿なのである。

現在、世界には何十億という人がいますよね。ということは、神様のご意志として、み心として、これだけの肉体人間を地球上に産む、あらわした、ということなのですよ。

私達は、神様の分霊を頂いて生きているんです。神様の力なくしては、私達はそもそも肉体を生かして生命活動を維持していくことができない、生きていけないんですよ。

これだけの人をあらわした、ということは、同時に、これだけの人にまつわるあまたの過去世からの無尽蔵ともいえる因縁因果がある、ということなのです。

従って、目に見える見た目だけ、すなわち、美人はこうだ、イケメンはこうだ、のような公式化をすること自体には、そもそも無理があるんです。

あくまでも、大まかな、ありがちな傾向でしかない、ということなんですよ。

カンナさんは、ご自分の顔を見ていると、本当に整っていて美人だなとまじまじと思い、これだけ美人だったら幸せになれないわけがないと素直に感じる、としていたが、そうじゃない、違う。

偶然にも、前回の ( 184_原仏11ー 6 - おぶなより ) の美輪明宏さんの本に出ていた不幸に生涯を閉じた絶世の美人の話が伏線になってしまったが、この人のように、絶世の美人に生まれついても、信じられない人生の十字架を背負わされ、不幸な人生を歩む人がいるのだ。

仮に、その絶世の美人が、毎朝、鏡でまじまじと自分の顔を見ていたら、どう思うだろうか?

私はこんなに美人なのに、こんな美しいのに、幸せになるどころか、なぜ、こんな信じられないような苦しみを味わわなくてはならないの?と泣き崩れていたかもしれないのだ。

それも、鏡をみる度に、だ。

これは拷問ですよ。

これは男だって同じだ。

たとえ、どんなにイケメンだといわれようが、女性の厚遇があろうが、決して人様にはわからないつらさ哀しみを抱え、辛呻しながら生きている人間だっているかもしれないのだ。

美輪さんの本に出ていた絶世の美人さんは、霊性の話も踏まえて言うなら、何世もかかってやっとたどり着けるかどうか、わからないほどの人もうらやむ美しさに生まれつきながら、それをまったくいかせない。

愛する男性と暮らし、子をなし、温かく幸せな家庭を築くことが許されないからだ。

一人で生きていくことも、もちろんいいだろう。

それも幸せの形なのかもしれない。

しかし、この世で縁ある人々と出会い、暖かい人間関係を築く、特に、深い繋がりと信頼を持って、幸せも悲しみも、ともに分かちあっていく家族を持つことは、幸せだと思うのだ。

それを叶えることができない。

人もうらやむような美しさをたたえているのに。

なんという悲劇。

絶望ですよ。

あとは信仰を持って神様と生きていくしかない。

つまり。

美人、イケメン。こんな上っ面で、世の中を俯瞰し、すべてを見切ったように断定することは、浅いんですよ。

浅いの。

因縁因果が限りなく多岐にわたることを書いたが、外見だけでなく、才能を見て下さい。

例えば、モーツァルト

彼は、いまだに人々を癒(いや)し、楽しませる素晴らしい音楽をたくさん遺(のこ)してくれた。

彼の音楽を聴(き)いていると、本当にありがたいと心から思う。

私はできていない人間なので、心がささくれだってしまうことが多い。しかし、彼の音楽を聴くとほんのひとときではあるが、本当に癒され、救われたような気持ちになるからだ。

彼は晩年(といっても30代前半)興行がうまくいかなかったり、奥さんの問題もあったりと、その生涯は順風満帆ではないところがあった。

しかも、何と30代半ばで、早世してしまったのだ。

あれだけの不世出の才能がありながら、早死にですよ。

つまり、外見最高、才能最高、財産最高のように、信じられないほど高い水準でバランスしている人は、きわめてまれだ、ということになのです。

カンナさんは、小さな横顔を見る限り、確かに美人だと思う。正面顔がないのでわからないが、多分、おそらくかなりの美人だろう。

しかし、美輪さんの本に出ていた絶世の美人ほどまでではないのではないかと考えられるのです。

何でもかんでも、高バランスというのはまれ(無いとは言わない)で、もし、あまりにも突出した部分があると、その分何かしらの負の部分を抱える可能性が出てくるからだ。

これが美人そうだと書いた理由です。

まあ、わけのわからない文章を書いてしまったが、とにかく、唯物論にとらわれている皆さんには、霊性のこと、世界平和の祈りを覚えて頂きたいと切に願います。

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・俯瞰~ふかん~高いところから、広く見渡すこと。
(用例)俯瞰図。

(参考)鳥瞰図~(瞰は見下ろす意)高い場所や空中から見下ろすこと。また、高い立場から全体を見渡してとらえること。俯瞰。
(用例)山頂から下界を鳥瞰する。

・鳥瞰図~高所から地表を見下ろしたように描いた風景図や地図。鳥目絵。俯瞰図。

・早世~そうせい~若くして死ぬこと。早死に。夭逝。
(用例)早世を悼(いた)む。

・不世出~ふせいしゅつ~めったに世にあらわれないほどすぐれていること。
(用例)不世出の詩人。

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なお、誤字の訂正は以下の通りです。
(誤)府に落ちる
(正)腑に落ちる

なお、私は何の気なしに肯定的な意味で使ってしまいましたが、本来は、否定的に使うようです。

(参考)・腑~ふ~①はらわた。内臓。
(用例)胃の腑。腑分け。五臓六腑。
②心。性根(しょうね)。

・腑に落ちない~納得がいかない。
(用例)不合格なのは腑に落ちない。

(語法)否定の意味で使うのが伝統的だが、近年は「腑に落ちる」の形で納得がいく意で使うこともある。

(参考)・五臓~ごぞう~漢方(=東洋医学)で、心臓・肺臓・肝臓・腎臓(じんぞう)・脾臓(ひぞう)の五つの内臓。

五臓六腑~ごそうろっぷ~①漢方で、五臓と、大腸・小腸・胃・胆・膀胱(ぼうこう)・三集(さんしょう)(=胃の上、胃の中、膀胱の上にあって、消化・排泄(はいせつ)をつかさどるという器官)の六腑。
②腹の中。心の中。
③腹のすみずみ。
(用例)五臓六腑にしみわたる。

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①追記: 2020/11/29 01:05
②追記: 2021/07/08 20:43
③追記: 2021/07/11 18:20
④追記: 2021/07/11 18:23
⑤追記: 2024/04/13 20:15
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、表題と本文を加筆・訂正し、注釈を追加しました。