おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

261_原仏16ー6

前々回 ( 259_原仏16ー5 - おぶなより ) に、次回、息抜きをはさんだ後は、Ⅱ 人生の指針 第二部 後世における発展 から始めるとしましたが、ちょっと説明不足かな、と思うところがあるので、補足します。

お釈迦さんの過去世としての兎(うさぎ)の話です。

まあ、私個人としては、肉体を構成する魄(ぱく)要素ならばともかく、魂(こん)要素も、神様の分け命としての霊要素も動物とは違う(神様の分けられたお命=霊要素はない)ので、動物から肉体人間への転生はない、と勝手に思っているのですが・・・。

それはともかく。

現在、ジャータカ物語の市販本がいくつかあります。

例えば、以下のようなものです。
①ジャータカ物語_インドの古いおはなし_辻直四郎/渡辺照宏訳_岩波少年文庫 139
②ジャータカ_仏陀の前世の物語_松本照敬_角川ソフィア文庫
③ジャータカ物語_釈尊の前世物語_津田直子 第三文明選書 (上)(下)14 15
④ジャータカ物語_入澤崇_本願寺出版社
などがあります。

兎の話に関しては、
①ウサギの施し
②第 七 話 わが身を捧げたウサギ
③月のうさぎ
④兎の施し
と、それぞれに出ているのですが、④ が一番短く、しかも、端的でわかりやすい。

ここでは、ご参考までに、④ と ① を見てみたいと思います。
また、私独自の勝手な要約・改変・省略などがありますが、ご了承頂きたくお願い申し上げます。


月に兎がいる。
なぜこんなことが言われるようになったのか。

ジャータカにこんな話がある。

ある森に一匹の(釈尊の前世の)兎が住んでいた。
彼(ウサギは動物だか擬人化させてもらう)には、猿と豺(やまいぬ)と獺(かわうそ)の 3 匹の友達がいた。

ある日、一人の修行者がやって来て、それぞれに食物を乞うた。
「よろしゅうございますとも。
あなた様に食物をお布施致しましょう。」
と、猿も豺も獺も、その日手に入れた食物を差し出した。
ただ一人、彼だけは施す食物を持っていなかった。
すると彼は、
「私は自らを捨てて火の中に飛び込みます。
私の体が焼けたら、その肉を食べ、どうか修行をお続けになって下さい。」
そう言って彼は燃え盛(さか)る火に近づき、
「もしも私の毛の中に生き物(虫のことでしょうね)がいたら、それらが死ぬことがありませんように。」
とつぶやいて火の中に身を投じました。
ところが、薪(たきぎ)の火は彼を焼きません。
これは一体どうしたことか、と彼は不思議がった。

実は、その修行者の正体は、帝釈天という神様で、彼を試すために天からやって来たのであった。
「たとえ誰がやって来ようとも、私には施しを惜しむ気持ちを見つけることはできなかったでしょう」
と、彼は言い放った。

帝釈天は、彼の立派な行いが世界中に知れわたるようにと、山を押し潰して、その山の汁を絞り取り、月面に彼の姿を描いたのであった。

古代インドでは、月のことを別名「兎を持てるもの」と呼んでいた。


昔昔、ブラフマッダ王が、ベナレスの都で国を治めていた頃の話です。
ボーディサッタ(お釈迦さんのこと)がウサギに生まれて、森の中に住んでいました。

その森の一方には山がそびえ、一方には川が流れ、もう一方には片田舎の村がありました。

ウサギには3匹の友達がいました。
サルとヤマイヌとカワウソです。
この 4 匹の賢い獸(けもの)達は、いつも仲良く暮らしていました。
昼の間は、めいめいが自分の餌を探しに出かけますが、夕方になると、皆が集まって、一緒にひとときを過ごすのでした。

中でも、一番賢いウサギは、他の 3 匹に、尊い教えを説いて聞かせていました。

人には施しをしなければいけない。
行いをつつしまなければならない。
精進日(しょうじんび)を守らなければならない。
といったことを話していたのです。

他の3匹は、なるほどと思って、ウサギの話に耳を傾けました。
そうして、夜になると、ジャングルにあるめいめいのすみかへ帰って眠るのでした。

ある日のこと、ウサギは空を見上げ、月を眺めているうちに、ふと、明日が精進日であることに気がつきました。

それで、友達(サル、ヤマイヌ、カワウソですね)に言いました。
「明日は精進日です。
明日はみんなが行いをつつしみ、できるだけよいことをしましょう。
行いをつつしみ、人に施しをすれば、よい報(むく)いがあるものです。
ですから、もしも、物乞いでも来たならば、みんなが自らの蓄えている食べ物を、その人にわけてあげましょう。」
みんなはそれに賛成して、めいめいの家に帰りました。

次の日の朝早く、カワウソは食べ物を探しに、ガンジス川の岸に降りて行きました。
ちょうどその前に、一人の漁師が 7 匹のヒゴイを捕まえ、それを縄に通して、川岸の砂の中に埋めておき、自分は魚をとり続けながら、川下の方に下りていったところでした。

カワウソは、漁師の埋(うず)めた魚のにおいを嗅(か)ぎ付け、砂を掘って魚を引っ張り出して、
「この魚は誰のかね?」
と、大声で 3 度叫びましたが、誰も持ち主らしい人はあらわれませんでした。
そこで、カワウソははなわを口にくわえて、その魚を森の中の自分の家に持ち帰りました。
いずれ食べてもよい時に食べようと思ったものですから、魚はそのまましまって、ゴロリと横になり、今日は 1 日、なかなかよい心がけだったな、などと考えていました。

ヤマイヌも食べ物探しに出かけました。
そして畑の番人の小屋の中で、串に刺した肉2切れと、トカゲ 1 匹と、壺(つぼ)に入った牛乳とを見つけました。
「この食べ物は誰のかね?」
と、大声で 3 度叫びましたが、誰も持ち主らしい人はあらわれませんでした。
そこで、ヤマイヌは牛乳の壺を縛(しば)ってある縄を首に吊(つ)るし、串に刺した肉とトカゲは口にくわえて、自分の家に持って帰りました。
いずれ食べてもよい時に食べようと思ったものですから、食べ物はそのまましまっておいて、ゴロリと横になり、今日は 1 日、なかなか心がけがよかったな、などと考えていました。

サルも森に行って、マンゴーの実をたくさん拾って帰りました。
いずれ、食べてもよい時に食べようと思ったものですから、食べ物はそのまましまっておいて、ゴロリと横になり、今日は 1 日、なかなか心がけがよかったな、などと考えていました。
いずれ食べてもよい時に食べようと思い、マンゴーの実はそのまましまっておいて、ゴロリと横になり、今日は 1 日、なかなか心がけがよかったな、などと考えていました。

ところで、ウサギはいずれよい時刻に、野の草を食べに出かけるつもりでしたが、自分の家で寝転びながらこう考えました。
もしも物乞(ものご)いの人が来ても、私はその人達に草をあげる訳にはいかない。
それに、家には、ゴマもお米も何もない。
そうだ、もしも誰かが食べ物をもらいに来たら、私はその人に自分の肉をあげることにしよう。

このウサギの健気(けなげ)な心がまえが、天上に住むインドラの神様(帝釈天のこと)のおそばに届きました。
神様はこれにお気づきになって、まことに感心なことだが、ひとつ、あのウサギの心を試してやろう、とお思いになりました。
そこで、インドラの神様はバラモン僧に姿を変えて、まず第一にカワウソの家の近くに行き立っていました。

すると、カワウソが、なぜそんなところに立っていらっしゃるのですかと尋ねると、坊さん(?)は、
「もし食べる物をいただけたら、精進日の決まりを守って修行することができるのです。」
と言いました。
カワウソは、
「よろしゅうございます。
食べ物を差し上げましょう。」
と言って、次のように申しました。

川から陸にあげたての
コイが 七 匹うちにある
坊さん これをめしあがれ
それから森にとまりなさい

坊さんは、
「いや、明日にしましょう。
いずれ、考えてみます。」
と言って、次にはヤマイヌのところへ行きました。

すると、ヤマイヌが、なぜそんなところに立っていらっしゃるのですか、と尋ねましたので、前と同じ返事をしました。
ヤマイヌも快く承知して、次のように申しました。

畑の番をする人が
晩のおかずとっといた
クシ肉 トカゲ 牛乳を
こっそり失敬しましたが
坊さん これをめしあがれ
それから森にとまりなさい

坊さんは、
「いや、明日にしましょう。
いずれ、考えてみます。」
と言って、今度はサルのところへ行きました。

すると、サルが、なぜそこに立っていらっしゃるのですか、と尋ねましたので、前と同じような返事をしました。
サルも快く承知して、次のように申しました。

熟(う)れたマンゴーに冷たい水
涼(すず)しい楽しい木の陰で
坊さん どうぞめしあがれ
それから森にとまりなさい

坊さんは、
「いや、明日にしましょう。
いずれ、考えてみます。」
と言って、今度は賢いウサギのところへ行きました。

するとウサギが、なぜそんなところに立っていらっしゃるのですか、と尋ねましたので、前と同じような返事をしました。
ウサギは自分が思っていた通りのことを頼まれたので、たいそう喜んで、
「坊さん、あなたはよく私のところへ、食べ物をもらいに来て下さいました。
私(わたくし。このウサギだけわたくしになっているのところには、ゴマもお米もありませんが、今日はひとつ、今までにないようなご馳走をして差し上げたいと思います。
けれど、あなたがご自分で生き物を殺しては、戒(いまし)めを破ることになりますから、あなたはあちらへ行って、薪(たきぎ)を集め火をおこして下さい。
そして、用意ができたら、私に知らせて下さい。
私は、自分で火の中に飛び込みますから、私の体が焼けたら、取り出して召し上がって下さい。
その上で修行をなさって下さい。」
と言って、次のように申しました。

ウサギの家(うち)にはゴマもない
豆もなければ米もない
わたしが焼けたらめしあがれ
それから森にとまりなさい

インドラの神はそれを聞くと、すぐに神通力で火をカンカンにおこし、ウサギのところへ行って、火の用意ができたと知らせました。

ウサギは草の寝床(ねどこ)から飛び起きて、火のそばに行くと、3 度丁寧(ていねい)に自分の体を振るいました。
毛皮についているノミなどが、焼け死んではかわいそうだと思ったからです。
それからウサギは、わが身を焼いて坊さんに捧げるために、喜び勇んで燃え盛る火の中へと飛び込みました。
ところが、炎の中に入っても、ウサギの体の毛一筋(けひとすじ)も焼けはしません。
まるで雪の中にでも飛び込んだかのように、何事も起こらないのです。

ウサギは、坊さんに向かって、
「坊さん、あなたのおこした火は冷たくて氷のようです。
この火は私の毛一筋も焦がしはしません。
これは、一体、どうしたことでしょう?」
と言いました。

坊さんは言いました。
「賢いウサギよ。
私は坊さんではない。
インドラの神だ。
そしておまえの心がけを試しに来たのだ。」

ウサギのボーディサッタ(お釈迦さんのこと。唐突で不親切だな、もう)は、

「インドラの神様、もしあなたばかりでなく、世界中の人が私を試したとしても、私の心の中に施しを惜しむような気持ちを、見つけることはできないでしょう」
と、きっぱりと言いました。

インドラの神は、ボーディサッタに向かって、
「賢いウサギよ、おまえの徳が永久に、世の人々の間に記念されるように。」
と言いました。
そうして大きな山を押し潰して、その絞った汁で、月の表面にウサギの似姿を描(か)きました。

それから別れの挨拶をして、ウサギを元通りに森の草の寝床に寝かせると、インドラの神は天上の住みかへ帰って行きました。

4 匹の賢い動物は、その後も行いをつつしみ、精進日を守って、互いに仲良く、幸せな生活を送り、やがてこの世を去って、それぞれに生きていた時の行いにふさわしい報いを得たということです。

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①追記: 2021/02/03 01:30
②追記: 2024/04/21 04:20
③追記: 2024/04/21 04:23
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。