第 4 章 これから先がどうなるか不安
59.悪は暴かれる
悪事を行っておきながら
「誰にも知られないように」
と願い、隠し事をする人
彼を賎(いや)しい人と知れ。
(スッタニパータ) (一二七)
今枝さんの注釈によると、このお経は、お釈迦さんが、サーヴァッティーのジェーダ林の「孤独な人達に食べ物を施す長者」が寄進した精舎に居られた時に、火の祭祀を司(つかさど)るバラモン(司祭者)バーラドヴァージャの質問に答えて説いたものだそうだ。
私達肉体人間の想いと行いは、神様のみ心である、愛や真善美に照らし合わせて、悖らないものは、そのまま、良いものとして、この世にあらわれ、悖るものは、その悪いものを打ち消すために償う形で、悪くあらわれる。
こうした、因縁因果の法則があるから、誰にも知られないようにといくら願っても、あらわれるものは、あらわれてくる。
いくら隠しても結果的には無駄になってしまう。
だから、そうした願いは好ましくない行為であり、賎しい、すなわち、みっともない、意地汚いということになるのでしょう。
なお、今枝さんの訳では、「悪事」と「賎しい人と知れ」となっているが、佐々木さんの訳では、「悪業」と「最下層の者だと知れ」となっている。
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追記: 2021/09/17 00:49 〜訂正内容〜
本文を訂正しました。
経文の番号を間違えていました。
すみません。