おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

306_法話50-2

2. 怒りは自分を破壊し他人を破壊する

怒りには、怒らないことによって勝てる。
悪事には、善い行為で勝てる。
物惜しみには、分かち合うことによって勝てる。
真実によって、虚言の人に勝てる。

(二二三) (第17章 怒り より)

S さんによると、嫉妬、物惜しみ、後悔、憎しみ、悩み、陰気、苛立ち、嫌な気持ち・・・。

仏教で言う怒りとは、腹を立てて憤るという意味だけではなくて、物事を素直に受け入れることができずに、心の中で対立している働きもあらわしているとされます。

そして、怒りには破壊のエネルギーがあるとされ、それは自分を痛める(S さんは自分の体に火をつけて燃やす、毒を飲むことと同じだとしています)だけではなくて、自らの周囲にも悪影響の波動を及ぼすかのようにお書きになっています。

さらに、それが拡がれば、戦争にさえ結びつきかねない旨もお書きになっています。

なので、世界にはそうした愚かしい事例があったのだから、いくら自分が正しくて相手が間違っていたとしても、決して人を怒らせてはならないとしています。

そうして、怒りには怒りをもって応報しない、応報すれば倍々ゲームのように、燃え盛る恐ろしい火種になることを指摘されています。

で、結論としては、何をされても、何を言われても、自分の心に怒りの火を点けずに、ただ受けとるだけにしていればそれ以上は何も起こらないから、わざわざ争いの渦に飛び込みなさるな、となっています。

前に取り上げた中村さんの原始仏典の本で、古(いにしえ)の人は、あらゆる階層において、宗教家や修行者といった、人の人としてのあるべきより良き道を求めて、真摯な努力をする人達には、いかなる地位の高い人、たとえば一国の君主でさえも敬意を払う話がありました。

こうした社会情勢や土壌があり、お釈迦さんのような高潔な宗教家が諄々(じゅんじゅん)と説いて聞かせるならともかく、現代では難しいような気がするんですよねえ、個人的には。

やはり、現代は唯物論全盛で、いかに上手く世を渡るか、金を儲けるか、生き残るかなどと人間=肉体人間とした、自己保存の本能による、自己を中心とした利害得失計算に明け暮れやすい世の中では。

よほど霊性の開発された、霊性の高い人でないと、やられたら、簡単には黙っていられない、やり返さないまでも、不穏な怒りを溜め込みやすい気がするんですよね。

なので。

やはり、真善美に悖る想いと行いは、輪廻転生に持ち込まないためにも、確実に消し去ることが、最善であり、良策だと考えられるんですよね。

よって。

世界平和の祈りと守護霊さんと守護神さんへの感謝行で、これらの想いと行いの業想念を、浄めて消して頂くことが、望ましいと個人的には考えます。

ただ・・・。

今回の経文は、字面だけを見ると、疑問がなくはないんです。

①怒りには怒らないことによって勝てる。

勝つというのは怒りの消滅という意味なんですかね?

怒るなったって、過去世から潜在意識にたまっているものは、出る時になれば出てきますよ。

怒らないのは、ただ、現在の顕在意識で無理矢理怒りという想いを潜在意識に入れ込んだだけです。

いずれ、また縁があればあらわれてきます。

消滅した訳ではないからです。

ゆえに、怒りは出してしまったあとは、真摯な反省とともに、二度とすまいとした上で、難行道の修行なり、易行道の修行なりで、何とか消すようにするしかないんじゃないですかね。

この易行道の最もやさしいやり方が、世界平和の祈りと守護霊様と守護神様への感謝行になる訳です。

そうして、怒りという真善美と愛に悖る悪い想いと行いを神様の光で浄めて消して頂く。

これが、最も一般人になじみ、怒りを消すやりやすい方法だと思います。

といった感じで、それぞれ疑問があるのですが、あまり深入りしないで、ここははじめの一行だけで、通過することにします。

ご了承願います。

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①追記: 2021/04/24 14:26
②追記: 2024/04/26 23:02
③追記: 2024/04/26 23:05
④追記: 2024/04/27 04:49
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。