34. 自分で生んだ苦からは逃れられない
悪いことをした人は、
この世で悩み、
来世でも悩み、
二つのところで、ともに悩む。
彼は、自分の行為が汚れているのを見て、憂え、悩む。
(一五) (第1章 対句 より)
善いことをした人は、
この世で喜び、
来世でも喜び、
二つのところでともに喜ぶ。
彼は、自分の行為が清らかなのを見て、喜び、楽しむ。
(一六) (第2章 対句 より)
以下、私の個人的な判断で、上記経文の段落分けを変えたり、漢字化を行っています。
あらかじめご了承願います。
さらに、S さんの内容を (a)、私の思うところを (b) として、逐条解釈的に見ていきたいと思います。なお、私の判断で、適宜、改変・要約・書き換えなどがあることは、ご了承願います。
(a) 嘘をついたり、殺生をしたり、他人に迷惑をかけたり、悲しみを与えることは、悪いことです。
悪いことをすれば、まず、自分自身が悩み苦しむことになります。
よいこととは何か、悪いこととは何か。
それは説明しなくても「実感」としてわかることです。
よいことは、ほんの些細なことでも、やってみれば、「これは気持ちがいい」、「安らぎが得られる」と実感することができます。
悪いことをする人は、その行為をする前から悩み苦しんでいます。
そして悪いことをした瞬間にも苦しみます。
そのあとも、思い出しては苦しむことになります。
苦しみが苦しみを呼ぶのです。
たとえ悪事がバレなくても(露見するの方がいいんじゃないかなあ。S さんは仏教界の長老なんだから。他に訳の方が介在したのなら仕方ないのかもしれませんけど)、自分自身の苦しみからは決して逃れることはできません。
私達は、いつでも自分を評価して生きています。
どんなに高得点をつけたくても、悪いことをすれば評価は下がります。
よいことをすれば自ずと評価は上がります。
とてもいい自己採点ができます。
いずれの評価も自分自身が「実感」としてわかるのです。
(b) まずは、経文に関して前提として。
想いの法則、因縁因果の法則がありますね。
自他ともに対しての良き想いは、良き行いとなり、(原則として)輪廻転生を通して、良きものとして自らに返ってくる。
同様にして、自他ともに対しての悪(あ)しき想いは、悪しき行いとなり、(原則として)輪廻転生を通して、悪しきものとして自らに返ってくる。
S さんの言っている、説明しなくても実感としてわかる、というのは、私達が神様の分けられたお命を本体としているから。
だからこそ、善悪の判断が可能となる。
神様のみ心に沿ったものが善で、外れたものが悪、と。
つまり、私達は善悪の判断基準を生まれながらにして授かっていることになる。
よほどの因業人間で、凄まじい悪人や、サイコパスでない限りは(こうした人達でも、深層には神意識があるのだから、本当はわかっていますよ。そして、悪しき想いと行いは潜在意識である想いの世界の幽体に記録されます)。
そうして、過去世の因縁のあらわれとしての悪い想いと行いは、良心の呵責として、この世でわが身を苦しめる。
この世で新たに作り出した悪い想いと行いは、来世以降に、わが身に悪いものとして返ってくる形で、これまた、わが身を苦しめる。
そういうことでしょうね。
よいことについては、これを応用して、反対に考えればよいでしょう。
なお、S さんは、逃れることができないとしていますが、例外があって、過去世の因縁のあらわれ、悪い因果としてのこの世でのあらわれを、守護の神霊さんがその裁量の範囲内で浄めて消して下さることがあります。
もちろん、なんでもかんでもではなくて、あくまでも、守護する肉体人間の霊性の開発具合を鑑みながらでしょうけど。
ただし。
S さんは、私達が神様の分けられたお命を頂いているところからくる、正邪の判断基準を「実感」としているが、これは人によってまちまちなはず。
誰でも画一的に同じ実感ができて、同じ判断が下せるとは限らない。
過去世の因縁が悪く、悪いことをするのに抵抗感のない人や図々しい人は、どんどんどんどん悪いことをして、でしゃばることをするのではないか?
私達の深層の神意識で判断していることなら、画一的にできても、この世での表層意識、顕在意識では、過去世の因縁に悪い影響を受けて罪悪感が薄い人がいるんじゃないですか?
これとは正反対に、いわゆる、いい人、気の弱い人、気のやさしい人、気の小さい人は、きわめて遠慮かちで、ましてや、悪いことなど簡単にはできない。
つまり、人によって個人差がかなり幅広くあるので、S さんのように人々一般に、画一的・一律の形であのように悪いことをすれば、悩み、苦しみ、自分を傷つけるとは言えないんじゃないですかねえ。
(a) 何事もうまくいっていて、自分も家族も幸せな人は、他人に危害を加えたり、迷惑をかけるようなことはしません。
自分が明るくて充実している時には、思わず微笑んでしまいます。
挨拶することは、とても気持ちがいいし、何の抵抗もありません。
心に喜びを感じながら、よいことをすればするほど、周りからよい反応が返ってきます。
自己を採点すると、うまくやっているという満足も増えます。すると、さらによいことをしたくなります。
よい行為をする人は、「今」に喜びがあり、これからも喜ぶことができるでしょう。
悪い行為をすると、悩みや苦しみが増えるばかりです。
今も悩み、これからも悩みことになるでしょう。
(b) 正の連鎖、良きことの想いと行いの連鎖が続いていく、という話ですね。
連鎖はしやすいから、連鎖するのならば、良きことに限る、というお話でしょうね。
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①追記: 2024/04/27 21:21
②追記: 2024/04/27 22:10
③追記: 2024/04/27 22:13
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、本文を本文を加筆・訂正しました。