おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

399_法悟28-16-1

第 3 週 賢者の道を歩む

2 すべての罪はうそから始まる

ただ一つの真理を逸脱し、
うそをつき、
死後の幸福さえも捨てている者には、
犯せない罪はない。

(一七六) (第13章 世の中 より)

また、適当にいきます。

罪とは何かを、具体的に考えてみよう。

強盗、横領、仲間への裏切り、政治家の不正、官僚の不正、殺人など、人は自分の周囲を見て善悪を判断している。

だが、それだけではないのだ。自分に都合の悪いことも悪とするのである。

不良グループで仲間を裏切れば悪者とされる。抜け駆けして、先に悪事を白状されて罪状を露見させてしまうと自分達が裁かれるからだ。

本来なら、自首して自ら法の裁きを受けるべきはずが、(未だ自首しない)彼らからみれば、とんでもない裏切り行為で許しがたい悪と決めつけられてしまうのである。

このように、世の中では、自分に都合の悪いものが、悪とされてしまうことが多いのだ。だから、人によって、悪の中身が違ってくる。

自宅の高価な宝飾品が盗まれれば、強盗がとんでもない悪となるし、子供が誰かに誘拐されれば、誘拐が許し難い最悪の罪となる。

それでは、罪とは自分で勝手に決められるものなのであろうか。

かつてのある米国の大統領からすれば、戦争に賛成することが善で反対すれば悪だ。戦争に反対する者は敵であり、悪魔であり、悪を行う連中となってしまうのだ。

どの国でも、戦争を起こす場合は、何かしら大義名分を掲げて自らの正統性を主張する。

しかし、自分の友好国で起きた内戦には「戦争をするな」と反対するのである。この場合は、戦争に反対することが、善になっているのだ。

かように、人間というものは、善と悪の行為の基準を変えてしまうものなのだ。

だから、世の中での悪行為で一番のものは何かについては、賢者にたずねなければならない。

では、賢者ブッダ(お釈迦さんのこと)の答えは何か?

彼は、一番の悪行為を「ウソをつくこと。事実をねじ曲げること」と教えている。

キーワード(?)は情報だ。人間にとって情報は、命と同じように大事なものだ(?)。他人との意思疎通(コミュニケーション)をはかるのも言葉という情報のやりとりだし、経済活動をはじめとするあらゆる活動は情報によって成り立っている。(現代の)人間社会にとっては、情報は命なのである。

現代は情報化社会だが、私達を混乱させる不要なゴミ情報(?)も氾濫している。しかし、今はインターネットもあり、世界中から多種多様な情報を集めて、生活に役立たせることも可能だ。

情報は人間の命綱であることは、今も昔も変わらない。

しかし、その情報を何者かが恣意的にねじ曲げたらどうなるか。誤情報を使うことで、社会や経済を破壊することができるのだ。人を騙して、恣意的に動かすために、決して正しい情報は提供しない。そうした手法を用いて悪いことをする。これは人間がよくやることなのである。

国民を戦争に動員したければ、政府は自分達にだけ都合のいい情報を国民に流し、情報の統制などの操作を始める。国民を正しい情報としての事実から遠ざけ、偽りの情報を一方的に流して、国民感情を刺激して戦争に賛成させるのである。国民のお金を使って、国民に人殺しをさせる。死ぬのも、お金を払うのも国民なのだ。しかし、戦争で得た利益は別の人がさらっていく。それでも国民はまだお金をかけてそういう人々の銅像をつくったり、神社に祭って拝んだりする。本当はその人達のせいで多くのいのちが犠牲になっているのに。戦争が起きる場合は、明らかに情報戦争から始まって、一方的な情報が流される。これは、昔も今も同じで、現在起きている戦争も同じプロセスを踏んで始まっている。

情報をねじ曲げること。これは数ある罪(?)の中でも、最も大きな罪と看做(みな)すべきだ。つまり、「ウソをつくこと」が最もいけない行為だということだ。どんな罪でも、まずウソをつくことから始まるからだ。従って、あらゆる罪を犯してきた人間は、「ウソの達人」ということになる。ウソは罪の親分なのだ。

こんな具合だから、仏教の国では、小さい時から、「冗談にでも、ウソを言ってはいけない」と教えている。ウソをつくことで、人間はダメになると言っているのだ。自分がウソをつくような人間なら、人生を捨てる方がマシだ(??)。

「麻薬をやめますか、人間をやめますか」という標語(スローガン)があるが、麻薬と同じくらいウソは罪深いことなのだ。「ウソをやめますか、人間をやめますか」「ウソをやめますか、それともすべての幸福を捨てますか」と言ったら、皆さんは驚かれるかもしれないが・・・。

賢者からみれば、罪の世界はそういう仕組みになっている。人間が平気で何のためらいもなくウソをつくから、平和が失われて戦争が起こるのだ。

夫婦ゲンカも、子供のケンカも盛んだ。学校でイジメかあっても、先生達は「体面にかかわる」とか「学校の名前に傷がつく」などとして事実を隠す。これも立派な(?)ウソだ。

はじめから事実を知っているくせに、取り返しのつかない大問題が起きてから、「予測もできなかった。ビックリした」などと、国民に向かってウソを言う。

2005 年 4 月 25 日に尼崎で JR 福知山線脱線事故がおきたい時もそうだった。JR 西日本の幹部職員考えたのは、「どうやってウソをついたらごまかせるか」ということだった。問題を解決しようとする前に、そっちに頭が働いたのだ。たくさんの人が事故でお亡くなりになっているのに、また、さらに被害者に嫌な気持ちを抱かせる羽目になったのである。

そうやって、いたるところにウソがはびこっているから、社会はおかしくなる。私達は子供に「いい人間になれ。人に迷惑をかけるな。ウソをつくな」としつけるのだが、その子供達が、大人にききたいことがいっぱいあるはずだ。なぜなら、子供達から大人を見ると、大人こそ、ウソを言っているのだから。

「いい人間になれ」と偉そうに言っているが、子供から見えるその大人は、だらしなくて、嫌な人間なのだ。母親が「ウソをついてはいけません」といいながら、その母親が様々なウソをあちこちで言いふらしていることを子供は見て知っている。だから、しつけられても、真面目にきく気がしない。

子供のしつけをするにも、ウソという罪が人間形成の大きな妨げとなって、子供の人格にダメージを与えている。ウソをつくことが、まさに罪の親分なのだ。

とのこと。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

追記: 2021/06/01 07:08 〜訂正内容〜

本文を訂正しました。