おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

690_ひしみー111

08 天魔よ、汝は破れたり

・天魔の軍勢に勝利した沙門ガウタマ

前回( 689_ひしみー110 )の続きです。

前々回( 688_ひしみー109 )と
前回( 688_ひしみー110)は、
悪魔のことで
だいぶ脱線したので、
改めて以下の
439) ~449)
になる。
ただ、ひろさんのご本の、
08 天魔よ、汝は破れたり
・天魔の軍勢に勝利した沙門ガウタマ
の項目には、
686_ひしみー107
以上のことは書かれていなかった。
なので、ここは中村さんの経文の訳を
素直に読まれればよいと思う。

なお、ここでもご参考までに、
686_ひしみー107
と同様に中村さんのところで書いた
156_原仏8ー6 (加筆・訂正済み)
を再度引用しておく。

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スッタニパータ
第三 大いなる章
二、つとめはげむこと

439) ~449)

439) ナムチよ、これらは汝の軍勢である。
黒き魔の攻撃軍である。
勇者でなければ、彼に打ち勝つことができない。
(勇者は)打ち勝って楽しみを得る。

440) この私がムンジャ草を取り去るだろうか(敵に降参してしまうだろうか)?
この場合、命はどうでもよい。
私は、破れて生きながらえるよりは、戦って死ぬ方がましだ。

441) ある修行者達・バラモンどもは、この(汝の軍隊)のうちに埋没してしまって、姿が見えない。
そうして徳行ある人々の行く道をも知っていない。

442) 軍勢が四方を包囲し、悪魔が象に乗ったのを見たからには、私は立ち迎えて彼らと戦おう。
私をこの場から退けることなかれ。

443) 神々も世間も汝の軍勢を破り得ないが、私は智慧の力で汝の軍勢を打ち破る。
焼いていない生の土鉢を石で砕くように。

445) 彼らは、無欲となった私の教えを実行しつつ、怠ることなく、専心している。
そこに行けば憂えることのない境地に、彼らはおもむくであろう」

446) (悪魔は言った)、

「われは七年間も尊師(ブッダ)に、一歩一歩ごとにつきまとうていた。
しかもよく気をつけている正覚者には、つけこむ隙を見つけることができなかった。

447) 烏が脂肪の色をした岩石の周囲をめぐって
「ここに柔らかいものが見つかるだろうか?
味の良いものがあるだろうか?」
といって飛び回ったようなものである。

448) そこに美味が見つからなかったので、烏はそこから飛び去った。
岩石に近づいたその烏のように、われらは厭(あ)いてゴータマ(ブッダ)を捨て去る」

449) 悲しみに打ち萎れた悪魔の脇から、琵琶がパタッと落ちた。
ついで、かの夜叉は意気消沈してそこに消え失せた。

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156_原仏8ー6

155_原仏8ー5 の続きです。

それでも悪魔は、以下のようないくつかの軍隊と呼ぶ手下をよこして、釈迦を揺さぶろうとします。

第一は、欲望、
第二は、嫌悪、
第三は、飢渇、
第四は、妄執、
第五は、ものうさ、睡眠、
第六は、恐怖、
第七は、疑惑、
第八は、インチキな形で得た、利得、尊敬、名誉と蔑みによる軽蔑。

それは、釈迦によると、黒き魔の攻撃軍と呼ばれ、以下のようになっています。

「汝の第一の軍隊は欲望であり、
第二の軍隊は嫌悪であり、
第三の軍隊は飢渇であり、
第四の軍隊は妄執といわれる。
汝の第五の軍隊はものうさ、睡眠であり、
第六の軍隊は恐怖(他人に恐怖感を起こさせる)といわれる。
汝の第七の軍隊は疑惑であり、
汝の第八の軍隊はみせかけと強情と、誤って得られた(誤って得た場合にはまちがいを起こす)利得と尊敬と名誉と、また自己をほめたたえて他人を軽蔑することである。

ナムチよ、これらは汝の軍隊である。
黒き魔(Kanha)の攻撃軍である。
勇者でなければ、かれにうち勝つことができない。
勇者はこれらにうち勝って楽しみを得る。

このわたくしがムンジャ草を取り去るだろうか?(敵に降参してしまうだろうか?)」(注1)

終わりと一文のムンジャ草のくだりは、インドでは精神的に絶対に屈服しない強い意思のあらわれとされます。

「この場合、(わたくしにとって)命はどうでもよい。
わたくしは、敗れて生きながらえるよりは、戦って死ぬほうがましだ。」

(以上、四三六ー四四〇)

これは、インドでよくいわれる言い回しで、精神的な言い回しを指しています。

「或る修行者たち
バラモンどもは、この(汝の軍隊の)うちに埋没してしまって、姿が見えない。
そうして徳行ある人々の行く道をも知っていない。

軍隊が四方を包囲し、悪魔が象に乗ったのを見たからには、わたくしは立ち迎えてかれらと戦おう。
わたくしをこの場所から退(しりぞ)けることなかれ。

神々も世間の人々も汝(悪魔)の軍勢を破り得ないが、わたくしは智慧の力で汝の軍勢をうち破る。
まだ焼いていない生の土鉢を石で砕くように。

みずから思いを制し、よく念(おも)い(注意)を確立し、国から国へと遍歴しよう。

教えを聞く人々をひろく導きながら。」

(四四一ー四四四)

当時の修行者は、一ヶ所にとどまることで、そこに愛着や腐れ縁が生じないように、そのために遍歴する習わしになっていたようです。

何事にもとらわれないような心構えになった上で、その生き方や教えをひろめていく。

そのような形であったからこそ、仏教が普遍的な宗教としての特長を得た、と中村さんはお考えになっているように読み取れました。(注2)

修行中の釈迦を、悪魔は何とか、堕落させようと、様々な妨害を試みるが、すべて退(の)けられてしまいました。

その降魔の様子は、以下のように書かれています。

「かれら(ほんとうに教えをきこうという人々)は、無欲となったわたくしの教えを実行しつつ、怠ることなく、専心している。
そこに行けば憂えることのない境地(解脱の境地)に、かれらは赴(おもむ)くであろう」と。(注3)
そういう断固たる決意を聞いて、悪魔は言った。
「わたくしは七年間も釈尊に一歩一歩ごとにつきまとうていた。
しかしよく気をつけている正覚者(仏)にはつけこむすきを見つけることはできなかった」)(注4)

(四四五ー四四六)

釈迦は、29才で出家、35才で悟りを開いたから、6年のように思いますが、その修行年数は数え方で変わるようです。

そして、中村さんは、悪魔の敗北宣言として、以下のものをあげています。

「カラスが脂肪の色をした岩石の周囲を巡って
『ここに柔らかいものが見つかるだろうか』
『味のいい、おいしいものがあるだろうか』
というようなそんなことを自分はしていた。
ここに美味が見つからなかったのでカラスは飛び去った。
岩石に近づいたそのカラスのように我らはあきれてしまって、釈尊を捨て去る。」

悲しみにうちひしおれた悪魔のわきから、琵琶がパタッと落ちた。
ついでかの夜叉(神霊を指すが、この場合は悪魔)は意気消沈して、そこに消えうせた。

(四四七ー四四九)

以上で、スッタニパータでの、釈迦の生涯に関する、主なパッセージ(節)を見ました。

仏伝が発展すると、悪魔の数も増えてくるそうです。

中村さんは、このスッタニパータでは、後の仏伝で潤色される以前の、ただひたすら道を求める釈尊の姿が描かれているとしています。(注5)

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(注1)・汝~なんじ~対称の人代名詞。そなた。おまえ。=女・爾(ナンジ)←→我。
川の意の水と、音をあらわす女(じょ)とで、二人称代名詞なんじの意に用いる。

・欲望~ほしいと思い望むこと。また、その心。

・嫌悪~憎みきらうこと。ひどくきらうこと。

・飢渇~きかつ~飲食物が欠乏すること。飢えとかわき。けかつ。

・妄執~もうしゅう~心の迷いからおこる執念。ある物事に執着すること。妄念。

・ものうさ→(参考)物憂い~何となく心が晴れない気持ちである。気がふさいで、おっくうに思うさま。けたるい。ものうさは、これから派生した語。

・睡眠~①ねむること。ねむり。
②(転じて)活動をやめていること。

・恐怖~恐れること。恐れること。恐ろしく思うこと。

・利得~利益を得ること。利益。もうけ。

・尊敬~他人の人格・行為などをたっとび敬(うやま)うこと。

②・名誉~①すぐれている、価値があると世に認められること。また、そのさま。ほまれ。
②世間から得た評価。体面。
③(地位をあらわす代名詞の上につけて)功績のあった人に敬意をあらわして贈る呼び名。
(用例)名誉会長。

・軽蔑~見くだしてばかにすること。

(注2)中村さんは大学者さんのためか、難しい言い回しによる書き方や、あまり一般的とは思えない語句をまま用いることがあるように思います。

知識量が膨大なために、何の気なしにお書きになるきらいがあるのかもしれません。

教養がなく、低能力の私からすると、わからなくて悩むことが多いので、ことによっては、独断と偏見による曲解した意訳になったとしても、つとめて平易に書き換えるようにしています。

私に理解できるように書けば、私よりずっと上であろう読まれる可能性のある方々には、軽々と読んで頂けるはずだ、と考えているからです。

そのために、時々、このような書き方になりますことを、あらかじめご了承下さい。

(注3)・専心~せんしん~一つの物事だけに心を集中すること。専念。

(注4)・釈尊~しゃくそん~釈迦の尊称。

・尊称~そんしょう~尊敬の意を込めた呼び名。←→卑称。

(注5)・仏伝~国語辞典にも漢和辞典にも載っていません。

仏教の伝記でしょうか?

わかりません。

・潤色~じゅんしょく~(色を塗ってうるおいをそえることから)事柄をつくろい飾ること。話などにおもしろみを加えて仕上げること。

中村さんが、こうした潤色という言葉を、お使いになるということは・・・。

私が中村さんに大乗仏教にもしかしたら・・・と、アタリをつけた根拠の一つです。