おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

150_原仏7ー2

前回 ( 149_原仏7ー1 - おぶなより ) の続きです。

で、中村さんは、中道を尊ぶ立場として以下のものをあげている(端段落分けなどの改変あり)。(*1)

カッチャーヤナよ。
この世間の人々の多くは、二つの立場に依拠している。
すなわち有と無である。
もしも人が正しい智慧をもって、世界(世の人々)のあらわれ出ることを如実に観ずるならば、世間において無はありえない。
また人が正しい智慧をもって世間の消滅を如実に観ずるならば、世間において有はありえない。

カッチャーヤナよ。
あらゆるものが有るというならば、これは一つの極端の説である。
あらゆるものが無いというならば、これも第二の極端の説である。
人格を完成した人は、この両極端の説に近づかないで、中道によって法を説くのである。

「サンユッタ・ニカーヤ」第二巻一七ページ。

いろいろ書いてありますが、要は、六師の両極端な二つの行き方に帰着させていますね。

苦行をきわめる行き方と快楽や身勝手を放埒三昧させる行き方に。

そして、この両極端を超えたところに、人間の本当に正しい道がある、としています。

その中道は、その趣意は、足して二で割るという意味ではなくて、これを目指すところに実践の究極的な原理があると考えられたとしています。(*2)

そして、それは現実をよく見つめることにもなるとされ、イエスかノーかと簡単に割りきれない事柄が現実世界にはたくさんあるので、一方から見ればこう言えて、他方から見れば、またこう言えて、その全体を見て・正しい判断を下すことが必要になる、と。

私には、申し訳ありませんが、何を言っているか、漫然としていてよくわかりません。

わかったようなわからないような、訳のわからない感じです。

なので・・・。

こうした書き方をするのならば、神様の分けられたお命=分霊(わけみたま)を本体とする私達が、自然に(よほど悪く深く重い因縁をもつ人は除いて)そなえているところの、真なるもの、善なるもの、美なるものを求める性向、いわば、神性のおもむくままに、自然に、老子の言う道のままに行くとしたほうが、わかりやすい気がするんです、個人的には。

で、これは全体を見きわめる仏教の立場とされている箇所にも言えて、いろいろ述べた後に、中道はこだわりのない立場、こだわりのない人になれ、としていて、これも並大抵ではないから、日々反省して精進していくように書かれていますが、これもあまりはっきりしません。

生命の不思議にはじまって、自然の不思議、地球の不思議、太陽系の不思議、宇宙の不思議の前では、私達の唯物論の知識はまだまだ、とるに足らない、お話にならないのだから、謙虚に足元を見つめ直して、各人が置かれた立場で日々反省しつつ、神性にかなった生き方に努めるとした方が、ずっとわかりやすい気がするんです、個人的には。

中村さんは、私達が至らない者であること、謙虚であるべき者であることを、以下を引いて示しておられます。

自分が愚か者でありながら賢者だと思う者、これこそ愚者なのである。
自分が愚者であると知っている者は賢者なのである。

「ダンマパダ」六三

これは、多少、知識に自信が出てきても、決して思い上がるな、つねに謙虚であれ、神様の神業の前では、私達肉体人間は、とるに足らないのだから、と読み替えることができると思います。

以上で、序章 原始仏典へのいとぐち、を終わりにしたいと思います。

~~~~~

(*1)尊ぶ~たっとぶ~とうとぶ。尊いものとしてあがめる。敬(うやま)う。

(*2)趣意~しゅい~①物事を行うときの狙い・目的。また、理由。
②言おうとすることの意味。考え。趣旨。
ここでは、①の意。

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追記: 2024/04/09 04:33
〜訂正内容〜

本文を加筆・訂正しました。

149_原仏7ー1

六 原始仏典の歴史的意義

中村さんは、仏教があらわれた意義を、因習を超えて、の一言でまとめておられます。

人間のあるべき生き方や道筋は、バラモンのような祭りの形式ではない、苦行でもない、世襲といった血筋でもない、沐浴でもない、形而上学のような理屈ではない、ブルドーザーのように一方的な理論で丸め込む片寄った考え方ではない(中道のことです)、いわば、あらゆるこだわりを解き放った、素直な人間として自然にわいてくる真善美の心、神性に身を任せて、日々のあらゆることにあたり、精進なさい、と言っているように感じます。(*1)

そうした、既存のとらわれから離れた生き方を模索することを、因習を超えて、と表現されているように感じます。

中村さんは、祭礼と苦行に関して、いきなり頭ごなしに、あなたがたのやっていることはダメだ、と否定する仕方はしない、これが仏教の一つの態度だとされています。

お釈迦さんは、因習にとらわれている人達を、思いやりをもって同情して、その上で高い境地へ導いていくのが彼の態度で、これがその後の仏教にみられると。

これはおそらく、こう読み変えることができると考えます。

お釈迦さんは過去世からの因縁因果を変えることは、基本的にできないことをよく知っていた。

だから、高圧的な態度や教条主義的なやり方は、基本的に無効であるのみならず、さらなる、真善美に悖る業想念を増やすだけになりがちなこともよくわかっていた。

そうした場合に、祈りや呪術的なやり方ではなく、相手を導いていくにはどうしたらいいか。

呪術的なやり方も、輪廻転生を通した因縁因果には、対症療法、結局は一時しのぎにしかならないことも知っていた。

それを克服しながら、人々を導くにはどうすればよいか。

それは、自らの絶え間ない精進と可能な限り礼を尽くした相手の感化しかない。

だから、相手のふところに入って理解を示して、丁寧に対処していったのではないでしょうか。

形而上学に振り回され、現実の生活や生活態度のあり方がおろそかになりがちな人々には、毒矢のたとえをもって、対処した。

そしてお釈迦さんは、人生は苦である、すなわち、思い通りにならない、と断定した。

これは、過去世からの因縁因果によって定まってしまっている、あらゆる境遇や環境要因は、基本的には変えることができないことと同じように見えます。

本来ならば、神霊の身体として、自由自在であったはずのものが、過去世からある程度規定された因縁因果で定まる肉体に閉じ込められる形で、いわば、限定された形になっている。

しかも、各人各様で、千差万別に因縁因果は異なるから、それをも含めて、本人の気根や環境要因もすべて含めて、柔軟に対応していく。

それが、待機説法の形になっていると考えられます。

祭礼に関しては、以下のものがあります(段落分分けなどの改変あり)。

バラモンよ、木片を焼いて清浄になることができると思ってはならない。
なぜなら、これは外面的な事柄だからである。
外のものによって完全な清浄を得たいと願っても、それによって清浄とはならないと賢者たちは説く。
バラモンよ、われは木片を焼くのを放棄して、内部の火をともす。
永遠の火によってつねに心が静まっている。われは尊敬さるべき行者であって、清浄をおこなう者である。
よく制御された自己は人間の光である。

「サンユッタニカーヤ」第 1 巻 169 ページ

沐浴に関しては以下のものがあります。

バラモンよ、法の海は戒めの渡し場をもち、汚れなく澄み、高貴にしてよき人々に賞賛される。
そこにこそじつに聖者らは来たりて沐浴し、身体の汚れを清め、彼岸に渡る。

「サンユッタニカーヤ」第 1 巻 169 ー 183 ページ

理屈(形而上学)に関しては以下のものがあります。

「世界は常住(永遠)なものであるという見解があるとき、人は清らかな行いを実修するであろう」というのは正しくない。
また、「世界は常住ならざるものであるという見解があるとき、これは清らかな行いを実修するであろう」というのも正しくない。
世界は常住なものであるという見解があっても、また世界は常住ならざるものである見解があっても、しかも生あり、老いることあり、死あり、憂い、苦痛、悩み、悶えがある。われはいま目のあたり(現実に)これらを制圧することを説くのである。

「マッジマ・ニカーヤ」第 1 巻 429 ー 431 ページ。なお、「ディーガ・ニカーヤ」第 1 巻 187 ページ。

もうひとつは、以下のものがあります。

毒矢のたとえです。

中村さんは、解決できない問題を論議するよりも、どのように生きるべきかを理解して実践する方が先であることについて、経典のひとつの譬喩を引いています。(*2)

ある人が毒矢に射られて苦しんでいるとしよう。
彼の親友、親族などは、彼のために医者を迎えにやるであろう。
しかし、矢にあたったその当人が「私を射た者が、王族であるか、バラモンであるか、庶民であるか、奴隷であるか、を知らないあいだは、この矢を抜き取ってはならない」と語ったとする。
それではこの人は、こういうことを知りえないから、やがて死んでしまうであろう。
それと同様に、もしもある人が「尊師が私のために、世界は常住であるか、常住ならざるものであるかなどということについて、いずれか一方に断定して説いてくれないあいだは、私は尊師のもとで清らかな行いを実修しないであろう」と語ったとしよう。
しからば、修行を完成した師はそのことを説かれないのであるから、そこでその人は毒がまわって死んでしまうであろう。(*3)

「マッジマ・ニカーヤ」第 1 巻 429 ー 431 ページ。

で、どうしたらいいのか、その続きとして以下のものがあげられています。

しからば、私は何を断定して説いたのであるか。
「これは苦しみである」
「これは苦しみの起こる原因である」
「これは苦しみの消滅である」
「これは苦しみの消滅に導く道である」
というこ私は断定して説いたのである。
何ゆえに私はこのことを断定して説いたのであるか。
これは目的にかない、
清らかな修行の基礎となり、
世俗的なものを厭い離れること、
欲情から離れること、
煩悩を制し滅すこと、
心の平安、
すぐれた英知、
正しい覚り、
安らぎのためになるものである。
それゆえに私はこれを断定して説いたのである。

「マッジマ・ニカーヤ」第 1 巻 429 ー 431 ページ。

中村さんは、この断定するの明言から、待機説法を説き、原始仏典では対話の多いことを説いていますが、引用も少なく、これだけでは、どうもピンときません。

なので、勝手ながら因縁因果を使って書いてみました。

なお、都合により、中道以降は次回に譲ります。

~~~~~

(*1)・沐浴~もくよく~髪や体を洗い清めること。

気候が暑く、インドの人々の血のようにともにある沐浴は、習慣として連綿として続いてきているようです。

ジャイナ教で無意味だとされても、結局はなくならずに残っている、もう身についてしまっている習慣だと。

(*2)また、難しい字をお使いになって・・・。

・譬は、形成で六書の一つ。

・六書~りくしょ~漢字の構成・使用に関する六つの種別。象形・指事・会意・形成・転注・仮借(かしゃ)。

・形成~漢字の六書の一つ。意味を表す文字と音を表す文字の二つを組み合わせて、新しい文字を作る方法。また、その文字。

たとえば、銅は金が金属の意、同がドウの音を表すなど。

・譬は、言と、音を表す辟(ヒ)(ならべる意→並(ヘイ) )とで、似たことをならべてたとえる意を表す。

・譬喩~ひゆ~①たとえること。
②特徴のはっきりしたほかの似たものを引いてきて、ある物事をわかりやすく説明する表現法。直喩・隠喩などがある。

漢和辞典~たとえ。また、たとえること。比喩。

(*3)尊師~国語辞典数冊と漢和辞典には出ていません。

ネットでは、尊師とは師を敬った言い方である。つまり敬われるに値する人である。

サンスクリット語「guru」の訳語。
となっています。

これはあくまでも個人的な憶測ですが。

これはおそらく旧来の辞書には、出ていたものと思われます。

ただ、オウム真理教事件のために、以後、用いられるのを一切避けるべきとして、抹消したと考えられます。

あんな風に使われるくらいなら、無くしてしまった方がいい、と。

・しからば~そうであるなら。それなら。

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①追記: 2020/10/30 18:41
②追記: 2024/04/09 04:22
③追記: 2024/04/09 04:25
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。

148_原仏6

五 現代語訳の意義

ここには、仏典の伝えられた言語の経緯が書かれているのですが、また、細かくごちゃごちゃとわかりにくいので、大雑把にいきます。

まず、お釈迦さんはマガダ語で教えを説き、それがパーリ語に直され、さらに、サンスクリット語に書き換えられました。

マガダ語(でお釈迦さんが教えを説く)
パーリ語(変換)
サンスクリット語(変換)
→ほぼサンスクリット語を漢訳
→日本へ

ただ、散文の決まり文句と韻文の部分といったその言語固有の特色があり変えられない部分は、痕跡を残した形となっている、ということです。

で、ほぼサンスクリット語が翻訳されて漢訳のお経がつくられ、日本に伝わりました。

教団が固定されると、扱う言語も決まる訳ですが、当時の民衆の言葉が元だったようです。

中村さんは、パーリ語の詩の部分には難しい術語などない、とされています。端的に言ってしまえば、難しいのは、仏教学者がカッコつけるからだ、と。

中村さんは、当時のインドの言葉に通じている人が訳せばやさしくなるはずだ、そうすることが、お釈迦さんと教えをつくった人々の精神をそのまま伝える、と。

わざわざ難しくするのは、学者の臭気、ペダンティックなものが加わっているわけだと書かれています。(*1)

で、中村さんとしては、そうしたいにしえのお坊さんも行っていたカッコづけ(中村さんは、こけおどしと表現されています)も、時代背景からは、それなりに意味があって決して悪いことではないとされているように感じます。

人々に尊敬されるように仕向けることが、時代状況的に教化の方便だったから、ある意味仕方ない、と。

ただ、今はそうした時代状況ではなく、既存の権威がなくなっていくのだから、こうしたかざりごとは不適切だとお考えのようです。

ですので、自らを偽らず、納得のいく、わかりやすい仏教であることがふさわしい。

そのために、現代文に直すのは意味があるとされています。

ただ・・・。

個人的な感想を言わせてもらうと。

例えば、開経偈という、これからお経を読むにあたっての、短いご挨拶ですが、書き下し文に直しただけでも、ちょっとまどろっこしい。(*2)

ましてや、現代語訳をしてしまうと、かなり間延びしたものになってしまいます。

日本人は、言葉の省略が大好きですよね。

なんでもかんでも詰めて言葉をつくってしまう。

隠語にするときには、ショバ(場所)のようにひっくり返したりと。(*3)

漢文形式でも、意味さえ大まかにつかめれば、いいのではないですかね。

お経は長いものが多いし、その点からしても短い方が、読経しやすいし、時間が省ける。

合理的だと思うんですけどね。

もちろん、教えを口語でするのは、いいのでしょうが、長いお経は短い方がいいような。

勝手な感想ですけど。

~~~~~

(*1)そうは言っても、中村さんご自身が、臭気、ペダンティックという言葉を使っている。

なんか、ちょっと自家撞着のような。

もしかしたら、わざとおやりになっているのでしょうか。

自戒の意味を込めて、大学者さんがあえて故意にやってのけることで。

真意はわかりませんが。

・臭気~しゅうき~くさいにおい。悪臭。

ペダンチック(ペダンティック)~学識をひけらかすさま。学者ぶるさま。衒学的。

・衒学~げんがく~学問や知識があるのを自慢して、ひけらかすこと。ペダントリー。

・衒学的~学問や知識があるのを自慢して、ひけらかすさま。

・ひけらかす~(知識などを)見せびらかす。誇示する。

・自家撞着~じかどうちゃく~同じ人の言動が前とあととで矛盾すること。

(*2)開経偈について

これは、元々は、瀬戸内寂聴さんの CD 付きの本で知りました。

( 106_教訓 - おぶなより ) に書いた本とCDです。

ちなみに、一般的なお経入門の類いの本は、意外にもこの開経偈は出ていないことが多いです。

なぜだかわかりませんが。

私の勉強不足のせいかもしれませんが。

なので、一応、ここに書いておくことにします。

なお、便宜上、ふりがなを直後につけます。

開経偈~かいきょうげ

無上甚深微妙法~むじょうじんじんみみょうほう

百千万劫難遭遇~ひゃくせんまんごうなんそうぐう

我今見聞得受持~がこんけんもんとくじゅじ

願解如来真実義~がんげにょらいしんじつぎ

以下は、書き下し(読み下し)文です。

書き下し文とは、漢文を日本語の語順に従って仮名交じりの表記にした文のことです。読み下し文も同じです。

無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭遇すること難し。~むじょうじんじんみみょうのほうは、ひゃくせんまんごうにもそうぐうすることかたし。

我今見聞し受持することを得たり。願わくは、如来の真実義を解さん。~われいまけんもんしじゅじすることをえたり。ねがわくは、にょらいのしんじつぎをげさん。

なんか、ずいぶんと間延びします。

意味は、いいですよね。

訳すと、さらに間延びするのは、必定だとおわかり頂けることと思います。

なお、以前にも書きましたが、偈(げ)とはサンスクリット語のガーターで、詩のことです。

これは、どうしようか迷ったんですが。

読経の終わりのご挨拶もあるのですが、宗派によって違ったり、しなかったりする場合があるので。

一応、ご参考までに瀬戸内さんの天台宗(と真言宗も同様)での終わりのご挨拶である、回向文も書いておきます。瀬戸内さんも、法話のあとの般若心経の読経のあとに CD でおやりになっていましたから。

回向文~えこうもん

願以此功徳~がんにしくどく

普及於一切~ふぎゅうおいっさい

我等與衆生~がとうよしゅじょう

皆共成佛道~かいぐじょうぶつどう

書き下し文

願くは此の功徳を以て普ねく一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜんことを。~ねがわくはこのくどくをもってあまねくいっさいにおよぼし、われらとしゅじょうとみなともにぶつどうをじょうぜんことを。

(*2)中村さんのことを書いていて、もしかしたら自分も、と気になったので、念のために書いておきます。

私は、何の気なしに隠語と書いてしまいましたが、この文脈ならば、倒語の方が、当たっています。

・倒語~とうご~発音の順序を逆にした言葉。隠語に多い。
(凡例)
・たね(種)→ねた
・ばしょ(場所)→しょば
など。

・隠語~いんご~特定の社会や仲間内だけに通用する、特別の意味を持った語。隠し言葉。

(参考)
・やくざ仲間で使う、どや(宿屋)・ばくり(かっぱらい)、
・寺院の人が用いる般若湯~はんにゃとう~(酒)、
・やみ屋仲間が使う、だふ(切符・入場券)
など。

あと、これはネタ(ねた)として、何回も使わせてもらったので、恩を仇で返すことになるかもしれないから、悪いんだけど・・・。

非モテコミットは、あまり好きではないんだけどなあ。

わざわざあの言葉をつくる意味がありますか?

私には、わかりません。

元々、個人的に教養がなく、英語も苦手で、横文字の濫用が大嫌いなせいもあるのかもしれないけれど。

入れあげすぎたら、ポイされたんですよね?

せいぜい、あげポイ、くらいでいいんじゃないでしょうか?

何もあんなに仰々しく長々と、しかも横文字を使って・・・。

私の邪推なのかもしれないけれど。

なんか、いかにも、アドバルーンをぶちあげて、注目を集めようする意図が・・・。

まあ、邪推です。

大変失礼致しました。

皆さん、モテ談義や恋愛談義がお好きなんですね。

あの用語が使われているのが数年にもわたっているみたいだから、お好きな方が多いという証左なんでしょうね。

まあ、人様のことは言えません。

自分の場合は、皆さんとは違って、教養がなく、話のネタもないためもあり、モテ談義めいたこともかなり書いていますし。

やっぱり、肉体人間として生まれる時に、神性に付与して与えられた動物的な本能がいかに強いか、人間は肉体であるという肉体人間観が輪廻転生を通していかに強化されてしまうか、という側面も多少はあるかもしれないけれど。

ただ、だからと言って、フロイトのように、なんでもかんでも?性欲に帰着させるのは、唯物論そのもので、結果として、あらゆることが肉体身を中心とした利害特質計算に集約されぎみになるから、動物的な本能を本質とする学説や理論は・・・。

ご勘弁頂きたいんですけれど。

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①追記: 2020/10/30 15:39
②追記: 2024/04/09 04:03
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。

147_原仏5

四 仏教経典の現代性

中村さんは、昨今、仏典(仏教に関する書物。仏書。経典)を見直そうとする機運が高まってきたと書かれています。

今、この ( おぶなより ) で扱っている本(中村元著_原始仏典_ちくま学芸文庫)は、

原始仏典 Ⅰ_ 釈尊の生涯_1987年09月30日刊

原始仏典 Ⅱ_人生の指針_1987年10月30日刊
の、
東京書籍より刊行された二冊を一冊にまとめたものです。

おそらくわが国では、バブルの頃、今から 33 年ほど前の状況で、お書きになったものと思われます。

従って、中村さんの言うこの頃は、この当時を指したものと推定できます。

で、なぜそうなってきたかについて、中村さんは二つの側面を取り上げています。

第一は、仏教が国際的に注目されるようになったことです。

いろいろと書いておられますが、要は、物質文明の発達により、様々な面で快適性や利便性が飛躍的に向上した代償として、その元となった西欧文明では、解決できない各種の問題が起きてきたために、孔子老子、仏教、ヒンドゥー教ウパニシャッドやバカヴァッド・ギーターなどの東洋の文明をたずねて光明を見いだそうとした流れによる、とされています。(*1)

今一つは、日本に関して敗戦を機に民族主義(ナショナリズム)では、この発達した文明の問題を解決できず、国際社会に伍して乗り切っていくこと(これはどういった意味なのでしょうか?意味がわかりません)はできないとの意味合いから、普遍的な視野に立つために仏教に目を向けるようになった、とされています。

ただし、従来から(日本に)多くあったような、ご利益(ごりやく)や功徳(くどく)を重視する呪術的な色合いは薄れ、もっと自分自身の心のあり方、生き方に結びつける形で仏教を求めるようになってきたとされています。

昭和初期に吸引力を持っていたマルキシズムはすたれて、いにしえからある仏教を、いわば、新しきものとして、迎え入れられる素地ができあがってきたと書かれているように読めます。(*2)

中村さんは、西欧文明に代表されるような覇権主義では、核戦争などが起これば(環境破壊が壊滅的に起きても同じですね)運命共同体となる世界をつくることは、到底できないから、仏教に光明を見いだそうとお書きになっているように、読めます(中村さんは、運命共同体覇権主義や核戦争、環境破壊云々とは明示されてはいません。が、世界共同体や地球共同体を作らなければならないとお書きになっているのは、暗にこのことを前提にしていると考えられます)。

で、中村さんは、日本に入ったのは、大乗仏教からという、いわば、仏教の生成発展の歴史的な発展の過程からすれば、特殊というか、あべこべな逆の形になっている(大乗仏教が先に入り、小乗仏教が後から入る)ので、もっと素朴で、お釈迦さんの人となりが偲(しの)ばれるような、優れた修行者としての、一個人としての釈迦が描かれている阿含経をはじめとする、原始仏典を見直そう、とおっしゃっているように感じます。

乱暴な言い方をさせてもらえば、大乗仏教のような神格化されてブッとんだお釈迦さんや仏の物語よりも、もっと地道で修行者の生活に即したお釈迦さんの姿、肉体人間として当たり前ながらも、より良き人としてのあり方を目指している一個人としてのお釈迦さんの姿を見ることに意義がある、と。

また、時代世相からしても、奔放すぎる六師が出た状況に、酷似したところがあるから、原始仏典を訪ねてみましょうよ、と。

~~~~~

(*1)これはいわば、一般的見解というか、通説的な見方のように思えます。

仮定の話ですが・・・。

例えば、エネルギー資源にしても、実は、もうすでに公害のような環境破壊をせずともすむような技術が存在していても、何らかの事情で日の目を見ることができない、といった可能性がある場合には、これは政治的な問題となります。

私見ですが、こうした問題もつまるところは、因縁因果の法則、因果律によるものならば、これを改善しなければ、どうしようもない、と考えられるのです。

つまり、こうした背景にも過去世の因縁の網の目ががかかわっているなら、これを解決しなければ、どうにもならない、と。

ましてや、唯物論では解決できない、と。

絶対に。

一般的見解では、自然な成り行きとして、文明の発達との引き換えに、様々な矛盾や解決困難な問題が出てきた、となりますが、また、違った見方もできる訳です。

そうなると、一人でも多くの人に霊性を開発して頂かないと、どうしようもない、との結論に至りますね。

まあ、一つの仮定にすぎませんが。

(*2)これは、まあ、どうでもいいことなんですが・・・。

マルキシズムは、披支配階級の階級闘争による勝利で、多くの人に平等と幸福をもたらす理想社会の達成手段と解されるのかもしれません。

しかし、実際は・・・。

場合によっては、自由主義ときわめて親和性が高く、究極の絶対主義、搾取主義、独裁主義の側面があるのではないですかね。

ピーターの法則なんかを持ち出すまでもなく、そもそも、右も左も根っこは一緒と思えなくもないような。

各人の霊性がきわめて高く、仏陀級ならば、封建主義だろうが、絶対主義だろうが、資本主義だろうが、共産主義だろうが、問題は起きないはずですけどね。

しかし、肉体人間観を脱せず、自らとそのまわりの利害得失計算に明け暮れまくる霊性では、とても、とても・・・。

やはり、唯物論はダメで、霊性の高い人々による神主主義しかないと思いますけどね。

元が、本体が神様なのだから、ここに戻るしかない、と。

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①追記: 2020/10/26 09:25
②追記: 2024/04/09 03:39
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。

146_原仏4

三 原始仏教聖典

以下に見ていく原始経典は、「阿含経(あごんきょう)」と呼ばれます。

いわゆる、原始仏教聖典です。

原始仏教を以降は、釈迦とその弟子達の仏教とします。(*1)

原始仏教聖典として残存するものは、パーリ語聖典と、これに相当する阿含経などの漢訳諸経典、および、サンスクリット聖典の断片です。(*2)

原始仏教聖典は、三つの部分にわけられ、「三蔵」と呼ばれます。

パーリ語聖典の三蔵は、以下の三つです。

(1)律蔵 出家修行者の戒律の規定とそれに関する説明。

(2)経蔵 釈迦と直弟子の教えで、以下の五つの集成書から成る。下記は、相当する漢訳経典。

1 長部(ディーガ・ニカーヤ)) 「長阿含経(ちょうあごんきょう)」

2 中部(マッジマ・ニカーヤ) 「中阿含経(ちゅうあごんきょう)」

3 相応部(サンユッタ・ニカーヤ) 「雑阿含経(ぞうあごんきょう)」

4 増支部(アングッタラ・ニカーヤ) 「増壱阿含経(ぞういちあごんきょう)」

5 小部(クッダカ・ニカーヤ) この小部は、十五の部分から成り、それには、「スッタニパータ」、「ダンマパタ」(法句経)、「ジャータカ」(釈迦の過去世物語)などを含む。

(3)論蔵 教義に関する論書の集成であり、律蔵や経蔵の中にある様々な観念や術語を論議している解説・注釈・研究です。(*3)

さらに、この三蔵以外の蔵外と呼ばれるものにも、パーリ語で多くの書がありますが、特に有名なのは、「ミリンダ王の問い」です。

これらの聖典は、幾世紀にもわたって逐次拡大成立、付加されたものです。

~~~~~

(*1)中村さんは、正確を期すためか、学者さんとしての真摯な姿勢のためか、そのお人柄のためかはわかりませんが、前回の ( 145_原仏3 - おぶなより ) の(*1)で触れた南方の伝説云々といったように、かなり入り組んでお書きになるところが、ままあります。

ここでも、元本では、原始仏教聖典の教えについて、かなり細々とかかれていますが、結果としては、あまりこだわらない帰結にまとめられているように読み取れました。

元々、私は、お釈迦さんの基本的な考え方を探るために、とにかくその下地を少しでも作るべく、大まかな概要を把握することを目的としています。

結果として、基本的内容から外される、細かな事実まであれやこれやと書くと、かえってわかりにくくなり、混乱するおそれさえある、と考えます。

従って、独断と偏見で申し訳ないのですが、勝手ながら、枝葉末節と判断するものをバッサリと省き、結果として残される要点の把握だけに、努めたいと思います。

以降は、すべて、こうした書き方をしていきますので、あらかじめ、ご了承願います。

(*2)サンスクリット~古代インドの文章語。梵語
Sanskrit は、完成された語のこと。

梵語~ぼんご~サンスクリット語の中国・日本での呼び名。

(*3)・論書~これも、国語辞典と漢和辞典に出ていない。わかりません。

論議~ろんぎ~たがいに意見を述べ合って物事の道理をはっきりさせること。議論。

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①追記: 2024/04/09 03:15
②追記: 2024/04/09 03:17
③追記: 2024/04/09 03:19
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。

145_原仏3

二 経典のなりたち (*1)

釈迦はネパールのシャカ族の中心であるカピラ城に、国王スッドーダナ王(浄飯王~じょうぼんのう)の長子(ちょうし~その夫婦の最初の子。特に、長男)として生まれました。

釈迦というのは、彼の属していた種族の名で、姓をゴータマ、名をシッダッタといいます。

カピラヴァットゥ郊外のルンビニー園で、生まれは紀元前 463 年の 4 月 8 日で、日本や中国では、灌仏会(かんぶつえ)などを行います。(*2)

お釈迦さんを出産した後、7 日で母マーヤー夫人は亡くなり、その妹のマハー・パジャーパティーが後妻となって、彼を育てました。

お釈迦さんは母親を早くに亡くしたこと以外は、恵まれた境遇に育ち、16 才で結婚しました。

彼は物思いにふける面があったらしく、それもかんがみてか、父のスッドーダナ王は、早くに結婚させたようです。

妃(きさき)にヤソーダラー(誉れある淑女の意)を迎え、一子(いっし~一人の子供)ラーフラも生まれました。

それでも、深く人生の問題に悩んでいた釈迦は、29 才の時に出家、道を求める者の慣例にならって遍歴修行者となります。

6 年間、肋骨が見えるまでになるほどの苦行をしましたが、悟りを得ることはできませんでした。

苦行は、無意味であると感じたお釈迦さんは、ネーランジャラー河に浴して、村の少女の捧げる、牛乳を混ぜて炊いたお粥(かゆ)を飲ませてもらい元気を回復したそうです。

その後、ガンジス河中流の南方、のちにブッダガヤーと呼ばれる菩提樹の下で、瞑想して悟りを開き、35 才で覚者となりました。

それから、彼は古来からのヒンドゥー教の聖地ベナレスに赴(おもむ)きました。

そのベナレス郊外の「鹿の園」(鹿野苑~ろくやおん)で旧友の修行者 5 人を教化して、初の仏教教団が成立しました。

当時は雨期には旅行ができないために、一ヶ所にとどまって定住生活(雨安吾~うあんご)をしましたが、それ以外の時期は、常に各地を遊歴(ゆうれき~各地をめぐり歩くこと)して教化をしました。

教化活動の中心地は、当時最大の強国マガダの首都王舎城と、彼の生まれ故郷近くのサーヴァッティー市です。

王舎城では、郊外の竹林園をマガダ王ビンビザーラが、また、サーヴァッティー市では一富豪が買った土地を、それぞれ教団に寄進しました。

そこに建てられたのが、祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)です。

お釈迦さんの晩年の姿は、「大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)」(「大パリニッバーナ経」)のなかに生き生きと描かれています。

お釈迦さんは、王舎城の東北方にある「鷲の山」(霊鷲山~りょうじゅせん)を出て、弟子を連れて自らの故郷に向かって旅立ちます。

彼は、途中、大病にかかりながらもひるまずに旅を続け、ネパールの国境近くのクシナーラーへ来て亡くなりました。

彼は、弟子や信者に見守られながら、安らかに息を引き取りました。

それは少しも曇りや汚れを残さない、しめやかな愛情と親和感に満ちた臨終でした。

彼の亡くなった年月は不明ですが、中国や日本では、2 月 15 日を入滅の日としています。(*3)

仏教の経典のお経は、元々は、お釈迦さんが説いたことがらを、弟子達がずっと口伝で伝えてきて、後の人が短い詩や決まり文句の形にしてまとめたものです。

やがて、弟子達がインド全般およびアジア諸国へと教えを広めるにつれて、多数の聖典がつくられました。(*4)

その経典が尊(たっと)ばれるようになると、やがて、読誦(どくじゅ)がなされます。(*5)

そして、お経を読むことが、今日まで続いてきました。

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(*1)中村さんは、南方の伝説に従う云々といちいち断りを入れていくつか書かれていますが、以下、勝手ながらこれらはすべて省きます。ご了承下さい。

(*2)お釈迦さん誕生の 4 月 8 日に、その誕生仏に甘茶を注ぎかける行事。仏生会(ぶっしょうえ)。降誕会(ごうたんえ)。

(参考)
・降誕~こうたん~帝王・聖人・偉人などが、この世に生まれ出ること。
(用例)キリストの降誕

・降誕祭~こうたんさい~①聖人・偉人などの誕生日を記念する祭典。
②クリスマス。

・降誕~ごうたん~仏が生まれること。特に、釈迦が生まれること。

降誕会~①陰暦 4 月 8 日、釈迦の誕生を祝う祭り。灌仏会花祭り
②宗祖や開祖の降誕の日を祝うこと。

(*3)入滅~にゅうめつ~仏教語で、聖者や僧が死ぬこと。特に、釈迦の死をいう。入寂。入定(にゅうじょう)。

(*4)聖典~せいてん~①その宗教で最も神聖とされる、教義の根本が記された書物。
②聖人の書いた書物。
ここでは、①の意。

(*5)読誦~どくじゅ~声を出して経文を読むこと。読経(どきょう)。

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①追記: 2020/10/21 10:36
②追記: 2024/04/08 12:30
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。

144_原仏2ー2

前回 ( 143_原仏2ー1 - おぶなより ) の内容の補足で、肉体人間の一生についてです。

前回 ( 143_原仏2ー1 - おぶなより ) で、この世に起きてくる事柄は、いいものも、悪いものも、その他、人間の五感で感じることができるものも、何もかも、すべて、時を経て消えてゆく姿であること、そして、ただ、あるのは、最終的に残るのは、神様としての命、み心だけなので、肉体人間の一生は、おそらく、その中のほんのわずかにしかならない、とごく簡単に、いわば、アッサリと書いてしまいました。

そうは言っても、なかなか、納得できないのが、私達肉体人間の性(さが)だと思います。

なぜならば、私達の大半、おそらく、圧倒的大多数、否、ほとんどすべての人は、肉体人間こそが、人間そのものであり、だからこそ、五感で感じ取れる身にまつわるものに執着して、少しでも肉体生活に有利なものを、保持したい、失いたくないと考えるからです。

私は、たまたま、病気などの不可抗力で苦しむような経験をいくつもしている(今も続いています)ため、否応なしに霊性に触れる因縁があったから、このような霊性にまつわることについて考えるようになり、こうした考え方にまでいたりましたが、やはり、納得できている訳ではありません。

まあ、これが心身ともに納得できたら、悟れたことになる訳で、こんな心境には程遠いですから。

この五感に感じられて肉体生活を運ぶために有利なもの、肉体そのものの、若さもそうだし、健康もそうだし、生活を有利で快適に運ぶためのお金や各種の財産もそうだし、みんなそうです。

これらが、失われていくことを極度に嫌い、おそれ、危惧する。

そして、いかに確保していくかに、東奔西走する、苦労させられるようになっていると思います。

場合によっては、狂奔することすらあるように。

どうしたって、こだわらずにはいられない。

お釈迦さんの時代に都市国家ができはじめてきたとは言っても、何せ今から二千五百年も前の話です。

現代では、当時とは比較にならないほど、生活の便利さや快適さが整えられてきていて(それとは引き換えに、自然や環境破壊されていますが)、当時のような簡素な生活をする修行遍歴者となることは難しい、というか、まずはできない。

まあ、有り体に言っても、時代状況それ自体も戻れない、戻すことはできないと思います。

仮に、戻らざるを得ないことが起きた場合でも、その環境に順応していくには、かなりの時間を要するのではないでしょうか。

お釈迦さんの時代でも、現代でも、社会は不平等、不均衡に満ちていて、矛盾や苦難があるから、なかなか、ありがたみはわからないかもしれない。

しかし、このように時代が進んできてしまった以上は、この境遇のなかで、地道に霊性の開発をしていくより仕方がないと考えられるんです。

少なくとも、唯物論に縛られたままでは霊性の向上(唯物論者の人にわかりやすく端的に表現すれば人格の向上)は望めない。

そこで、発想を切り替えることはなかなか難しいとは思いますが、何とか祈りだけでもしていただけたらなあ、と考えて、何度も世界平和の祈りのお願いを繰り返してきた次第です。

肉体にまつわる想念を、様々なとらわれを離すことは難しい、というか、不可能に近いから、とにかく、世界平和の祈りでこのきっかけを作り出して頂きたいとお願いしてきた訳です。

肉体人間観の脱皮は難しいから、祈りで韓非のいう、蟻の穴をあけるように、と。

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①追記: 2020/10/30 19:13
②追記: 2024/04/08 12:12
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。