真心(まごころ)とは何だろう?
字引には、嘘のない真実の心、とされている。
私は、誠心誠意を尽くして事に当たる、その心、と考える。
昔、何の本だったか忘れてしまったが、こんな話があった。
歌舞伎か何かの舞台役者さんの話。
ある観客が、手抜きだかやる気のないい加減な演技に憤慨して、役者さんに激しい抗議の手紙を送ったそうだ。
貴方はその程度の演技しかできない役者だと思われても、何とも思わないのか、云々と。
以来、その役者さんはそのお叱りを肝に命じて、毎回最善を尽くすようになったそうだ。
私は数年前からテレビをほとんど見なくなったが、それにはよく見ていた比較的地味目の情報番組が、見ていられなくなったのも要因の一つだった。
大袈裟かもしれないが、我慢に我慢を重ねているうちに、とうとう許容範囲を超え、キレてしまったのだ。
ご本人達には申し訳ないが、しゃべりの滑舌が極端に悪く、早口の上に、抑揚がフニフニの、語尾がモゴモゴで、何をしゃべっているのかわからないニュース系の情報番組の女性キャスターの K さんや、きわめて聞き苦しい(私には大苦痛だった)モスキート音?のような妙な抑揚をつけて話す健康の情報番組に出演している女性アナウンサーの H さんがいて、本当に酷かった。
これが本当に鍛練されて選ばれた人達なの?
一体、どうなっているのでしょうか?
まるっきりのバカ(不適切な表現で申し訳ないが、あえて使わせて頂く)じゃないんだから、よほどの勘違い天狗人間でもない限り、本人達も回りの人間達(スタッフ)も、ある程度はわかっていたはずだ。
視聴率がどうだったのかは、知らない。
しかし、いくらなんでも、あれほどまでに聞き苦しい(音が聞き取りにくいこと、聞き取れないこと、更にそんな人の話をいつまでも辛抱して聞かされる苦痛があること)のだから、いずれは不適格の烙印を押され、彼女達は消えていくだろう、それが当然だと思っていた。
芸能や娯楽ならいざ知らず、情報を扱うには、最低限、まずは正確な伝達を滞りなくするのが大事なはずだからだ。
まともに聞き取れなかったり、不快感を味わわされながら聞くのは、どう考えてもおかしい。
不自然きわまりないからだ。
そして、いくらなんでもさすがに変わるだろうと高をくくってもいた。
我慢も限界だったし、これ以上、あんな人達を続投させるなんて、そんなバカなことはあり得ない、と。
ところが。
女性キャスターの K さんは、まったくといってもいいほど変わる気配がなくずっとそのまま。
女性アナウンサーの H さんは、一旦消えたのに、また復活して、あろうことか、更に主役的な立場に置き換わった。つまり、看板( MC )扱いとして。
参りましたよ、本当に。
ああ、これはどうしても人材を変える気がないんだな、何が何でもこの人達を主役に据え続けるつもりなんだな、とわかり、完璧に嫌になってしまった。
あれだけの大所帯( N H K )なのに、チェックする人は誰もいないのだろうか?
伝達の仕方に疑問を持ち、視聴者のためにも、別の適格者を探そうと、なぜ思わないのだろうか?
私には全く理解できなかった。
失礼だが、この人達には、特別な人脈やコネでもあるのかと邪推したくらい。
他に代わりの人がいない訳はないだろうに、なぜ一向に改善の兆しが見られない人達を、いつまでも、いつまでも、いつまでも起用し続けるのだろうか?とどうしても納得いかなかったのである。
だが、これで余分なストレスをためないためにも、この際、テレビを見るのをやめようと、スパッと踏ん切りがついた。
また、この頃は他の民放も含めてテレビ全般に嫌気がさしてきていた時期でもあった。
そんな折、たまたま、ラジオで歌手の三波春夫さんの歌(元々、彼に興味はなかった)を聞いて、感じ入ってしまった(好きなジャンルの曲ではなかったが、CDまで買ってしまった)。
この人は、実に丁寧にきちんと歌い上げている。隙がない。元々、張りのある美声で素質もあるが、これはたゆまぬ稽古と心掛けの賜物だろうなと思わされた。
私は楽譜も読めないし、素養もないが、そう感じざるを得なかった。
自分が見せる芸には全身全霊を込める、そういう感じが強く伝わってきた。
俳優でも中村梅之助さんがいた。
申し訳ないけど、顔はお世辞にも二枚目とは言えないかもしれない(ごめんなさい)。
しかし、演技力は素晴らしい。
中村さんが、時代劇で江戸っ子の啖呵を切る場面を見て、感じ入り、再度見直した時には、思わず画面に向かって拍手してしまった。
さすがだ、これでこそ、本物の役者だ。
どうせ見るなら、こういう演技を見たい、と(ちなみに、声の良い人も得だと思う。芝居ももちろん良いが、かつてラジオで女性を魅了して一世を風靡したとされる俳優細川俊之さんのように。初期の頃と思われる相棒の再放送で見た)。
いくら見てくれがよくスマートでイケメンでも、あまりにも芝居がつたないと、ちょっとなあ、と思ってしまう。
もちろん、芝居が達者でなくても、独特の存在感だけで味のある人も多くいるし、人気≒視聴率≒ゼニも最優先だろうし、あまり優等生ばかりで、画一化されたら、面白くなくなるかもしれない。
でも、やっぱり特別な個性がない限りは、ある程度の芸の底上げをして、先達に少しずつでもいいから、近づく努力をして成果をあげてほしいなあ、と思っていた、当時は。
つまり、人間に相対して為(な)す行為には、相手も神様の分霊(わけみたま)を宿しているのだから、いい加減なことはできないし、自分も神様の分霊を宿され生かされて機会を与えられているのだから、最善を尽くさなくてどうするんだ?という型を見たような気がした訳。
で、結論として、真心を再定義してみると、相手の中に神様を認め、自分の中にも神様を認めて、全身全霊を尽くすこと、になると思う。
(追記)女性キャスターや女性アナウンサーのことを書いたが、もちろん、女性だけではなくて、男性にもこうした人はいた。
ただ、彼女達ほどには、程度が酷い人がいなかっただけである。
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①追記: 2022/07/15 12:38
②追記: 2022/07/15 12:43
③追記: 2022/08/28 02:58
④追記: 2024/03/20 07:08
⑤追記: 2024/03/20 10:45
⑥追記: 2024/04/10 06:33
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。