おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

064_苦言

また、かなりの業想念になってしまうが、ちょっと苦言を呈しておこう。

以前、いくつか書いた KD さんと、日本語の特別な意味付けのことで紹介した MI さんのことだ。

俺は、チンピラだし、こんなアクセスの多い、それなりの方々には、まったくと言っていいほど縁がない。

しかし、相も変わらず、悪い予見もどきを書いているんだなあ、この人達は。(*1)

俺の見た過去 1、2 年の間だけでも、いくつ目にしたことか・・・。

いい加減、そのうち気づいて、さすがにやめるだろう、と思った俺の読みが甘かった。

大甘だったよ。

霊的な内容に絡んだ話が、時たま出てくる割には、あまり本腰を入れて研究していないのか?

もしくは、周囲に誰も、注意をする、あるいは、諌める人がいないのか?

わからんがね。

俺の書いた文章を読んだ人が、KD さんを特定できるかどうかはわからない。

だが、MI さんは間違いなく特定できる(以前、○○という人と書いてしまったため)。

ということは、万が一にも、俺の文章から、それらに飛ぶ可能性を残してしまったのよ。

だから、相も変わらず、悪い予見もどきを書くことをやめない、このお二方には、はっきりと苦言を呈したい。

人生の大先輩でもあり、ひとかどの立派なお人であり、ブログ有名人であろう、このお二方には、大変失礼な話になってしまうのだがな。

俺は、黙っていられんのだよ。

この件だけは。

例をあげると、今年の五月の十連休前に、不穏な可能性のあることを書いていたな。(*2)

なお、その後の惨事は別だから、ここでは除くよ。

その可能性を示した不穏事(以下、不穏事と略)は、起きなかったからよかったものの、彼女( KD さん)と彼( MI さん)は、すっかり自分のしたことを忘れているみたいだな。

仮に、覚えていたとしても、気にもとめていないようだ。

そのようにしか見えない。

どう読んでも。(*3)

なぜなら、その後のいくつかの文章を見ても、まったく、後ろめたさや、懺悔のような雰囲気が感じられないからだ。

KD さん、そして MI さん。

あなた方に申し上げます。

不安を煽りかねない内容を書くのはおやめなさい。

どんなに心配しても、普通の人には、どうすることもできないのだから。

かなりの権力の中枢にある人でさえも、同じです。

止めることはできない。

仮に、一時避難処置ができたとしても、そのような因縁因果にあれば、特別の救済(守護の神霊様方の運命の修正)がない限り、どこまでもその因果は追いかけてきますよ。

逃げることはできない。

その因果を果たし終えるまでは。

不安を煽りかねない内容を読ませるのは、読んだ人の想念に影響を及ぼします。

そして、その想念は、基本的にその読んだ人の来世以降の運命に反映されていくんですよ。

読んだ人が、不安に駆られ、心配して、万が一にも恐怖心を抱いたらどうなるか?

読んだ人の来世以降の運命に、悪い種を蒔いたことになるんです。

あなた方は、それに、責任を持てますか?

何一つ持てませんよね?

何一つ。

これを理解したならば、今後一切、不穏事を書くのは、やめるんです。

やめて下さい。

やめるしかないんだよ。

どうしても、書く(因縁因果の展開に介入してでも、一時避難処置をさせたい)なら、それなりの重い覚悟をもって臨むことですね。

それなら、黙って、祈りの一つもしてよ、と言いたいんだよ。

そして、今まで散々っぱら不穏事を書いてきたことを踏まえるなら、寸暇を惜しんで祈りをしてほしい、ともね。

それにしても・・・。

彼らが、不穏事を書くのは、一体、何を意味するのか?

大きくわけて、以下の二つになるだろう。

まず、一つ目。

自分自身にこみ上げてくる、不安や恐れを吐き出すことで、少しでも楽になること。

自分の中だけに、不安や恐れの想いを溜めておくのが苦しいので、手近な人に話したり、文章に書いて読んでもらうことで、この苦しさを楽にすることです。

例えば、自分が何らかの心配事や不安を抱えていた場合、家族や親しい友人に、話を聞いてもらったり、大丈夫だよ、と安心させてもらうと、楽になりますよね。

いわば、自分で持ちきれない重い荷物を、他の人に手伝ってもらう、あるいは、荷物をまるごと預けて、自分は荷物を降ろして楽になる。

これらと一緒です。

自分に生じた真善美に悖る業想念を、他の人に、部分的に、あるいは全面的に、転嫁することな訳です。

これで、自分を楽にする、と。

しかし、重い荷物を持つのを手伝わされたり、まるごと持たされた方は、たまらないですよね。

なので、相談員やカウンセラーといった人達で、生真面目で真摯な人ほど、大変だろうなあ、と思う。

祈りを知っているか、よほど、霊的に浄める力をもっているか、ある程度、捌(さば)けた性格の人でないと、参ってしまうんじゃないかな。

次、二つ目。

不安や恐れを書き出して、人様に読んでもらうことで、何らかの不安や恐れの解消につながる動きを期待すること。

共感を得た人の何らかの動きを促すことで、不安や恐れの解消につながる動きを間接的に煽っている訳です。

前に、柔らかな扇動と書いたのが、これに当たる。

または、そうすることで、不安や恐れを行う実行側を思いとどまらせる、いわば、抑止力効果を期待することですね。

彼らがしているのは、この二つ目を主として、ほんのわずか一つ目が含まれるといったところだろう。

でも、これがダメなのは、過去に記した通り。(*4)

不安や恐れをやわらかく煽るだけで、不穏事の阻止のためには、何らの役に立たないし、力にはならない。

それだけでなく、将来も見据えると、真善美に悖る業想念を生み出した分だけ有害な訳。

だから、こんなことをするぐらいなら、ご自分の浄めも兼ねて、黙って祈りの一つもして下さい、と。

前にも言ったけどね。

不穏事は、起きないこと、起こさせないことが、何より重要なんです。

そのためには、可能性があれば、最善を尽くすしかないんだよ。

悪い因果を起こす、業想念が溜まりに溜まっているのであれば、これをでき得る限り浄め去り、守護の神霊様方の運命修正のご加護を待つしかないのさ。

万が一、どうしても、ことが因縁因果上、避けられないものであるならば、被害を最小限に食い止める。

そのためには、詰められるところは詰め、あらゆる努力を惜しまずにするしかないじゃありませんか?

反して、不安や恐れを抱かせ、煽るのは、結果として逆効果になるばかりでなく、遠い将来に不穏事の種を蒔くことにすら、なりかねないんだ。

唯物論での小手先の対処なんか、強大な力の前では、たかが知れているし、業想念を消し去らない限り、根本の解決はできないんだよ。

現実にほとんど効果がなく、将来に禍根を残しかねないことをして、どうするんですか、あなた方は!

もうね・・・。

不穏事を書くことの意義を、ご自身の胸によくよく問い質(ただ)して下さい。

自分は、一体、何を意図して、不穏事を書くのか、を。

徹底的に突き詰めて、考えて下さい。

自分は、なぜ、こんなことをするのか。

その動機を。

さらに、目指すべき到達点は、目標とすべきは、何かを。

さらには、その効果を。

それこそ、紙に書き出すなりして、徹底的に整理して、絞り込み、動機、目的、効果を明らかにして下さい。

必ず行って下さい。

不穏事を書くご自身のことと、世の中とのかかわりを、徹底的に整理して、分析しきって下さい。

あの行為の意義を、徹底的に書き出し、考え、省みるんです。

そうすれば、少なくとも、気軽に軽々しく不穏事を書いてはならないことが、おぼろげながらも、わかってくるはずです。

あっちの情報だ、こっちのお告げだ、と振り回されてばかりいるなどは、もっての他だ、ということもね(これは MI さんには、あまり当てはまらないかもしれんな)。

極論すれば、どんな秘密裡の情報なんぞが集まろうが、確度の高い霊的な予見なんぞが出ようが、関係ない。

どうでもいいんだ、もう。

なぜなら、不穏事が起きない、起こさせないことが何よりも大事ならば、なすべきことは、自ずと定まるからだ。

過程においても、結果においても、真善美に悖る業想念を、可能な限り徹底的に抑え、そして、浄め、できるだけ平穏な地平にたどり着く。

それさえ、達成できればいい。

ならば、それ以外のことをしてはいけないんです。

他はすべて余分なことに過ぎない。

神様の御心を現す世の中に、少しでも近づけるよう、業想念を減らしながら、可能な限り、詰めていく。

これだけです。

そのための、世界平和の祈り一念の生活になるのです。

世界平和の祈りと守護霊様、守護神様への感謝行、と。

おわかりですよね?

まあ、お二方のような、それなりの有名人は、俺の文章を読む可能性は、万(億?)に一つもないかもしれない。

ただ、もしこの苦言を読み、これは自分のことを指摘した話だ、とわかったならば、よくよく自省して頂きたいのですよ。

俺なんぞが、分不相応で生意気な物言いですがね。

深く深く、省察願いたい。

皆さんの幸せを願うのならば・・・。(*5)

これで、基本的に説教は無効でも、あなた方の潜在意識には、記録できたからな(万が一にも、読んでもらえたらの話だが)。

で、あとは因縁因果次第ですね。

俺は、あなた方を見ている(=ブログを読んでいる)と、無意識になんだろうが、人様を善きに導きたい、何らかの役に立ちたい、との思いは感じるのよ。

なので、間違った方向に向かって行ってほしくない。

勝手な野郎だ、とお思いになるかもしれないが、これが、あなた方に対する、俺の望みなのさ。

~~~~~

(*1)彼ら(彼女と彼)は、いくつか文章を読んだ限りでは、そんなに特別な霊感はお持ちではないようなので、正確には予言ではなく、予見かこれに準じるものとなると思われます。

なので、あまり良い書き方にならず、申し訳ないのですが、ほぼ直感も交えた推測だろうということで、予見もどきとさせてもらいました。

すみませんが、ご了承下さい。

(*2)(追記)
これは、今から1年以上前に書いたので、去年の話になります。

(*3)以前、( 061_報恩2 - おぶなより ) (*4) で書いた、旅の恥はかき捨て、あるいは、言いっぱなしで、知らんわ、ボイッと書いたのがこれだ。

彼らも書いた直後は、多少の引っ掛かりはあったのかもしれない。

しかし、その後、俺の知る限りでも、何度もやっているんだ。

もう、常習的と言っても差し支えないくらいだよ。

そのうち、そのうち、・・・と淡い期待をしながら見てきたが、ここ最近で、もう完全にダメだと見切ったのさ。

彼らは、このままなら、決して悪い予見もどきを書くことをやめない。

間違いない、と。

ある程度、不穏な空気が漂ってもおかしくない、ちょっとした谷間や区切りがあると、まるで、条件反射のように、悪い予見もどきを出してくる。

もはや、完全に癖だよ、これじゃ。

周囲の人達とも、この行為に関して、見直すようにやり取りをした気配もまったく感じられない。

俺も、遠巻きながらもかかわったり、紹介してしまった以上、放っておく訳にはいかなくなってしまったのさ。

なぜなら、俺からすれば、これは明らかに悪いことに他ならないからだ。

不穏事を書くのをやめようとしない彼らを、見過ごせなくなってしまったって訳。

だから、彼らの純粋な動機、いわば、初心に立ち返ってもらい、欠点は改めてほしかったのさ。

それなりの著名人であろう、人生の大先輩方には、悪かったんだけどね。

彼らが、多くのアクセス(人気ですね)があるのも、その美点故(ゆえ)だろう。

それも、爆発的な大人気ではなさそうなところが、ミソだと思う。

彼らの美点をきちんとそれなりに理解している人達が、読んでいるということだから。

それはともかく・・・。

彼らの美点を削(そ)ぐ、そして、読んだ人達に悪影響を及ぼしかねない(悪い予見もどきを真に受ける、または、真似することよ)のは、糺(ただ)してもらう必要があるのさ。

そういうこと。

(*4)徒然と-045-地球さんのためにも_その2 を参照のこと。

(*5) (追記)
ここでいう、幸せの意味は、MIさんが、別途に話をされていたコマーシャリズム(商業主義、営利主義)でのものではありません。

そういった、結果的には、限られた階層の繁栄(霊的には極めて?なのだが)にしかならない、お仕着せの幸せを、意味してはいません。

ここでの意味合いは、悪い予見もどきで、これを読んだ方々の想念に、悪影響が及ぶことから、これは避ける、つまり、明らかな不幸は避けるほどの意味合いです。

まあ、強いて幸せと言えば、神様のみ心に沿って生きることで生じる、安心立命感を得ることでしょうね。

安寧の境地に。

(追記2)
MI さんに関して、2 点補足する。

第 1 。予見もどきの件。

MI さんは占い関係のお仕事をなさっている方です。

そのためには、個人指導のみならず、ある程度まとまった方々の指導、そして、不特定多数を相手とする、マスコミやネットでの指導もされていると思われます。

火宅の世といわれるように、不安に満ちたこの世を導いて行くときに、ある程度の予見、しかも、様々な外部要因を俯瞰して、相談者や視聴者の状態を見極めながら、中には安心させて、勇気づけなければならないなど、大変な面がおありだと思います。

なので、時宜によっては、負の予見を出さなければならないような場合もあるかもしれません。

様々なケースが、おありでしょうから、そのさじ加減は難しいものだとは思いますが、去年のあの予見に関しては、一個人はもちろん、権力の中枢にある人達でさえ、どうにもならない内容でしたので、結局は、聞いた人がかなりの不安になるだけの案件でした。

ですので、ここに記しました。

第 2 。日本語の特徴について。

私は、( 042_平易に - おぶなより ) (*15) で、日本語を祭り上げろ云々と乱暴に書いてしまいましたが、あれは間違いでした。

訂正させて下さい。

MI さんも、これに関する脳の検証をされた学者さんも再三言われていたそうですが、だから、日本語が偉いとか、自慢するとか、そういったことでは決してないそうです。

あくまでも、日本語がこのような、世界でも稀に見る特徴を備えている。その事実を指摘しているだけだ、とされています。

その検証をされた学者さんも、周囲、特に外国人から誤解を受けて、正しく理解してもらおうと、相当にご苦労なさったようです。まるで、自慢をしているかのように、悪くとられてしまうらしいのです。(追記2ー1)

で、あまり詳しく書くとまずい(ネタバレのことです)と思うので、簡単に私なりに理解した概略を書くと。

まず、MI さんは、これからの時代は、もうエリート主義に見られるような、一局集中のような独裁型の、あるいは弱肉強食だけの競争社会ではなく、自然とも、人とも、調和する、共生を目指していく、と考えていると思われます。

そこでは、他の言語とは違って、あらゆる自然の音を、言語として感じ取れる可能性を持つ不思議な日本語が、これからの共生の時代を築く鍵になる、と考えていると思われます。

自然の生きとし生けるものと対話の可能性を持つ日本語、そしてその日本語を母体として生み出される、あるいは、育まれる文化は、きっと何か大切なお役目を果たせるのではないか、とお考えになっていると思われます。

ブログでは見つけられませんでしたが、ユーチューブに、

・次に来る文明と日本語

・命の一体感による新文明と日本語が果たす役割

の2本の動画があります。

ブログを探すのも大変ですし、話を直接聞く方が、おそらく、わかりやすく、かつ、早いので、興味を抱かれた方は、こちらをご覧になればいいのではないかと思います。

MI さんは、当たりもやわらかく、声も良いので、話がとても聞きやすく、わかりやすいと思います。

(追記2ー1)
多分、こうした外国人の人達は、自慢しないことこそが、霊性の高さであり、同じ神様の光、霊光のわかれとして、分断して理解しないことこそが、本当は重要なのだということが、わからないのでしょう。

これでは、その育まれる文化が、一見カッコよくても、猛々しく攻撃的で、ギスギスした部分を含むことがままあるのも、むべなるかな、という感じですね。

これは、妄想が混じって申し訳ないのですが、日本が奈良、平安、その他と日本語は様々な形で、制圧・侵食されながらも、鵺(ぬえ)のように?生き残り(今もまだ侵食はあるみたいだが)、このような形で、残されているのは、本当にありがたいことなのかもしれません。

幼少時から無理矢理外国語に馴染ませるのは、?と思わされました。

やはり、先の敗戦で、限定的に壊滅的な被害を受けた傷跡があまりにも大きく、伝統否定に走る傾向があったのかもしれません。

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①追記: 2024/04/06 04:34
②追記: 2024/04/06 04:45
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。