おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

122_また

また、言葉についてです。

補足です。

( 120_言葉 - おぶなより ) で、バカをはじめとする、真善美に悖る想念にもとづく言葉(以下、便宜上、負の言葉とします)が、輪廻転生を通して、どのように作用を及ぼすのかについて触れました。

負の言葉も、ある割合だけは、間違いなく、輪廻転生の過程に乗って、清算されることになるのは、確かだと思います。

ただ、負の言葉の、口に出して言ってしまったすべてが、輪廻転生の過程に乗るのかどうかは、わかりません。

というのも、負の言葉の口に出したすべてが輪廻転生の過程に乗ることになってしまうと、少なくとも、この世はどうしようもない、真善美に悖る、業想念の清算の過程だらけで、不幸災難まみれ、天変地異まみれになってしまう可能性があるからです。

過去の私もそうですし、皆さんも負の言葉を生まれてから今までどれだけ言って来たかは、想像もできないものがあるはずです。

今は、霊性の高い負の言葉を使わない人達も、少なくとも幼少時は、ある程度、使っているはずです。

従って、人類すべての負の言葉が、輪廻転生の過程に乗っているのであれば、世の中はとっくの昔に滅んでいる、と考えられるのです。

なので、これは、やはり守護の神霊さんが、常時、私達の出した業想念を、たゆまず浄(きよ)めて下さっていて、それでこの世は何とか滅びずに来ていると考えられるのです。

こうしたことは、五井先生に直接質問できれば、わかるはずなのですが、それは叶いませんので、残されたいくつかの書物からの推定ではありますが、このように考えられます。

ただ、このように、口に出したすべての負の言葉が、輪廻転生の過程に乗って清算されないとしても、とりあえずは、使わないように努めていく、あるいは、業想念の強さが抑え切れず、これらの負の言葉を使ってしまった場合にも、世界平和の祈りと守護霊さんと守護神さんへの感謝行を欠かさないことによって、少しでも、浄めるようにしておくことが望ましいのは、間違いありません。

ということで、負の言葉は、使わないのが好ましいことと、世界平和の祈りと守護の神霊さんへの感謝行をすることが望ましいことになります。

以上、( 120_言葉 - おぶなより ) の補足です。

はてなさんが、毎年 9 月の、第 3 月曜日の「敬老の日」の国民の祝日にちなんで、「おじいちゃん・おばあちゃん」を今週のお題にしたのは、当たり前ですが、よかったですよね。

ジジイ、ババアと言葉の響きが、いかに違うことか。

比較になりませんもんね。

残念ですが、誰だって肉体身として生まれたら、いずれは死を迎えます。

つまり、誰でも死に向かって年をとっていく、ということです。

そうして、自分がある程度の年齢になった時に、人から、ジジイだの、ババアだの言われたら、一体、どんな気持ちがするでしょうか?

ひどい場合には、中高年、下手をすると、25 才以上をこのように、いう場合すらあります。

まるで、10 代、20 代のみずみずしい時期以外を、お人によっては人間ではないかのような差別的な言い方をする場合まで。

こんな時期なんて、人生数十年なら、ほんの一瞬でしかないのに。

こんな一瞬しか、謳歌できないキリギリスのことばかりしか考えないような人としてのあり方では、業想念を数知れず積んでしまいます。

ましてや、輪廻転生を通した永遠の命を考えるためには、まったく、お話になりません。

とにかく。

説教めいたことは、いくら言っても仕方がない(=無効)ので、世界平和の祈り一念の生活による、霊性の開発を、お願い致します。

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追記: 2024/04/07 17:40
〜訂正内容〜

本文を加筆・訂正しました。