おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

357_法話50-42

42. 実践するだけで問題は解消する

真理を喜ぶ人は、
澄んだ心で清らかに暮らす。
聖者の説いたしんる道を、 
賢者はつねに楽しむ。

(七九) (第6章 賢者 より)

以下、一通り S さんのお話を見ていくと(かなりの意訳・改変などあり)。

あらゆる宗教は、創造主や神様などの概念を持ち出し、浄土や天国など、形而上学的な理想の別世界を描く。

人間には、それが確実に存在するかどうかもわかりはしないのに。

それよりも、今自らが平和であることが問題だ。

その自分は、今この私だ。

昨日の私でもなければ、明日の私でもない。明日はまだ来てもいないのだ。

まずは、今の自分が心配事だ。

過去にこだわれば悩み苦しむし、未来も不確実で苦しむ。

今の自分がここにはある。

真理とともにあるのだ。

だから、しっかりと観察すれば、心は見事なまでに清らかになり、安らぎを得られる。

真理は、時空を超えた別のところにはない。

時空間でも、あるのは今、ここだけだ。

だから、ここに真理を探せばよい。

宇宙の真理がどうの、仏とは何ぞや、などと延々と論じても意味がない。

それは今この生き方とはまったく無関係である(?)し、これを明らかにしたからといって、心が清らかになるものではない。

多くの宗教は、宇宙の根本原理とか、創造主としての神といった、具体的・現実的にとらえることができない観念を信じるところから始まる。

仏教の「信」とは、何かをやみくもに信じる信仰ではない。

事実の具体的な観察で得ることのできる深い理解なのだ。

いわば、確信とも言うべきものだ。

お釈迦様は、真理は、誰もが実践できるものでなくてはならない、と説いた(中村元さんにもこの話は出ていました)。

たとえ信じていなくても、自ら実践してみれば、実感としてわかってくるものであり、それによってあらゆる問題が解消していく(?)点が素晴らしいのだ。

だから、自ら実践して確かめていけばよい。

ざっと、こんな感じです。

あとは、皆さんのご判断にお任せ致します。

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追記: 2024/04/28 01:29
〜訂正内容〜

本文を加筆・訂正しました。