おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

344_法話50-29

29. 自分が死ぬということを覚悟する

人々は、
我々は死すべき者だと気づいていない。
この理(ことわり)に、他の人は気づいていない。
この理を知る人があれば、
争いは鎮まる。

(六) (第1章 対句 より)

これは先に見た、( 342_法話50-28-1 - おぶなより ) と ( 343_法話50-28-2 - おぶなより ) に取り上げた内容と重なるので、もし、お知りになりたい方は、お手数ですが、そちらをご参照願います。

なお、その経文は以下の通りです。

28. わたしも同様に死ぬのだと観察する

この体は衰え果てた。
病の巣であり、もろくも滅び去る。
腐敗のかたまりで、くずれてしまう。
生命は死に帰着する。

(一四八) (第11章 老い より)

まあ、私の言いたかったのは、肉体人間の死はそんなに簡単に諦め切れるものではないし、そもそも、諦観できるような人は、やはり、輪廻転生を通して、そして、今生をも加えて、自力にしろ、他力にしろ、想いや行いそれなりの修行を重ねてきた人なのではないか、ということです。

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追記: 2024/04/27 17:08
〜訂正内容〜

本文を加筆・訂正しました。